エレベーターで開ボタンを押すといったマナーはアホかも

エレベーターで開ボタンを押す

どうも!タラッタです。

「エレベーターで開ボタンを押すといったマナーはアホ!」という ちょっとアホなタイトルの記事ですが、今日はエレベーターのお話です。

あなたは、エレベーターで律儀に開(開く・ひらく・OPEN)のボタンを押してませんか? え!?押しとるの?・・・おりこうさんねぇ。ご褒美、何が欲しい??w

・・・すみません。ちゃんと真面目にいきましょう!

ハッキリ申しますと、開ボタンなんて、押す必要ないです。押しとるアンタはアホ。いや、正確に言えば、アホである “ 可能性がある ” ですわ。そりゃそうだよ。あんまり意味ないもん。特に少人数のときに押すのは意味不明です。

私が開ボタンを押さない理由

押さん理由はいくつかあります。

  • めんどくさいだけだで
  • 偽善だで
  • センサーがついとるで
  • ゴタゴタするで
  • 自分がされたら嫌だで

 ↑↑ 語尾は「・・・で↓」という感じで下げて読んでね。名古屋弁だで。

もう開ボタン押す人生、終わりにしましょうよ!

では一個ずつ解説していきましょう。

めんどくさいだけだで

これは私の勝手な理由です。めんどくさいから押したくない。

じゃあ、なぜめんどくさいか?

・・・めんどくさく思うのは単なるワガママかもしれませんが、押すべきだという暗黙の(?)マナーに従うのがめんどくさいのと、以下の理由を考えると、どうしても「めんどくさい」と考えちゃうんですわ。

偽善だで

開ボタンを押すことはたいてい偽善です。

「押してやってる自分、かっこいい」「マナーを守ってる自分」とうぬぼれとるにすぎんのです。友達に対して押してやるんなら、「イイ人だと思われたい」「嫌われたくない」といった意識が潜在的に働いとるはずです。

本当に心の底からやっとるんならええんですが、その行動の意味も分からずやっとるんなら、結果的に人のためにはなっても、アホかもしれません。

というか、本当に心の底からやっとったって、次の理由がある限り無駄骨となります。

センサーがついとるで

最近のエレベーターにはセンサーがついとります。各メーカーの製品データを見たわけではないため正確なことは知りませんが、私の体験を通して言えば、たいていのエレベーターは大丈夫。

どんなセンサーかというと、人の乗降を感知するといったセンサー。つまり、乗降中には扉が閉まらないといった仕様なんです。

まあ、古いエレベーターとかなら、そういうセンサーが無いかもしれんで開ボタンを押すのも頷けるんですが、高性能なエレベーターではまず押す必要ない。

例えばね、愛知県名古屋市の名駅(メーエキ)にあるジェイアール名古屋タカシマヤ。ここには、スカイシャトルと言われる立派なエレベーターがズラッと並んどるんですが、これ、全部センサーついてますよ。押しとる奴がおったら、私は心の中で「コイツはアホかもしれないな」(←断定はしない)とつぶやいとりますw

私はまず押さない。押しても何のメリットもないし。

センサーのことを知らずに押しとった頃もありますが、そのときの内心は “イイ人だと思われたい”  “でも本当はめんどくさい” でした。でもある日、偶然誰も押さんかったことがあり、そのときに「あ、乗降中は勝手に閉まらないんだ」とセンサーの存在を知りました。そこで、私は過去の自分を軽蔑しました。「アホだったな」と。

ゴタゴタするで

開ボタンを押す人がおると、扉付近がゴタゴタします。特に狭いエレベーターでは、開くボタン役の人はとりあえずどいてくれ。そこにおられるとぶつかるんだ。

自分がされたら嫌だで

自分がエレベーターを降りるとき、誰かが開ボタンを押しとると嫌な気持ちになります。

なぜかというと、「譲られてしまったな」という、なんだか恐縮な気持ちも生まれるためです。一方で、上にも書いたように「コイツはアホかもしれないな」とも思っちゃいます。そしてその後「自分は人の粗探しばかりして、イヤな人間だな」とひとり悲しくなるんです。

こうして変な葛藤が起こります。たったひとりの人が開ボタンを押しただけで、私はあれこれ考えて疲れてまうんです。誰も押さなければ、何も考えることなく降りられたものを・・・。

・・・面倒な奴でしょう?w 

開ボタンの存在理由や、押す場合について

開ボタンが存在する理由は、まず “開いた状態を延長するため” だと思います。降りる人がひとりおるとして、その人が荷物を整理しとるうちに閉まっちゃうことが想定されます。そんなときに開ボタンは役立つため、センサーのあるエレベーターであっても私は押すかもしれません。

それから “閉まりかけたときに再度開けるため” 。これもええでしょう。

で、次はかなり主観的な意見ですが、日本人のヤサシイ心遣いのためにあるのかもしれないな、とも考えとります。開ボタンを押す必要がなくても、わざわざ押すことで「どうぞお先に」と無言の謙譲をする。つまり人を自分よりも立ててあげられますよね。

そう考えると、礼儀作法に細かい日本では、開ボタンは、(必要が無くても)あったほうが良いのかもしれません。

しかし、上のほうでチラッと書いたように、自分自身がうぬぼれるといった偽善の思いでやっとる人が大半じゃないかしら?本当に心の底から謙譲しとる人ってどのくらいおる?多くの人が、謙譲と見せかけて「譲ってやってるんだ」と自覚してはおらんかね?

だで、開ボタンなんてほとんど意味ないですね。

あ、でも、まだセンサーが無いエレベーターもあるでしょうし、あっても不具合かなんかでうまく働かんときがあるかもしれんで、開ボタンはやっぱあって自然かなとも思います。

でも私は押さんけどねw 古いエレベーターとかでベビーカーとか車いすの人がおるときは念のため押すかもしれんけど、タカシマヤのスカイシャトルだったら、まず押さないです。

じゃあ、私が開ボタンを “確実に” 押す場合ってどんな場合かといったら、「先に出てってくれ!!」という意思表示をする場合です。これは偽善でもなんでもありません。「お前が先に出ないとゴタゴタするんだ!」と言いたい場合のことです。その場合には、たとえセンサーがあっても開ボタンを押すことで無言の伝達をするでしょう。

最後に

私って性格悪いですか?? いや、別に開ボタンを押す人を馬鹿にしとるわけではないですよ。アホかもしれんな~とは思ってますがw え?それじゃあ同じじゃないかって??・・・細かいことはええんだい!

押さない派がおれば、押す派がおって良いと思います。私は押さない派。ただそれだけ。今回はその裏付けをするための記事にすぎませんでした。

ちまたの部屋を借りてディベートも行いましたが、やはり結論は「好きなようにすれば良い」ということになりました。

「開」ボタンを押す派?押さない派?

押したいならどうぞ押してください。押したくないなら押さなくて良いでしょう。

最後に、私が見つけた面白いページをご紹介しましょう。

⇒ 「僕がエレベーターを降りる時に「開く」ボタンを押さない理由」(とらっぷる)

⇒ 「エレベーターを降りる時に開ボタンを押す人がいますが何でですか?」(知恵袋)

⇒ 「エレベーターの「開」ボタンを押すな!という彼の主張」(大手小町) ←これは押す派の意見です。

ま、何はともあれ、色んな人がおるんですね。
・・・と、人のことを理解したかのような偽善ぶった台詞を吐き捨てて、今回は終わりにします^^

 
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