現代語でも、歴史的仮名遣いや古語を意識した歌い方を!

どうも、タラッタです!

さて、今日は私の専門的なお話をしましょう。

日本語の歌(日本歌曲など)を歌う際に、
どのようにして歌詞を歌えば自然な日本語として歌えるか、また、
言葉を生かして歌うことができるのか、です。

クラシック畑出身者にとっては、
日本歌曲というものは難しいジャンルと言われています。

なぜなら、そもそも発声法・歌唱法と日本語がうまく溶け合っていないからです。だから、本当は歌い方から改善していく必要があるわけですが、今回はその一環として、日本語という言葉に着目してみようと思います。

さて、以前にも「日本語の母音は5つだけではないはず」に書いたように、
日本語の母音は本当に5つだけでしょうか?

例えば「え」は、現代では発音がひとつのみですが、
ア行の「え」と、ヤ行の「え」と、ワ行の「え」を、
どれも同じように発音しても良いものなのでしょうか?

・・・良い悪いで考えるとちょっと良くないので、
どうすれば日本語らしく聞こえるのか?という視点から答えを言うと、
ずばり「全て発音を分けるべき」だと私は考えています。

「こえ(声)」の「え」は、ワ行の「え(ゑ)」でした。
「いえ(家)」の「え」は、元々はハ行の「へ」でした。
「みえる(見える)」の「え」は、ヤ行の「え」でした。

もちろん、時代によって違っていたりもしていて、
ワ行「え」がヤ行「え」に吸収されたり、ヤ行「え」が現代のア行「え」になったりと、
歴史上では分離と統合がややこしく起きているので、私はその点はハッキリ把握しているわけではありません。

日本語の専門家の中でも様々な論が展開されていて、
「○○世紀にはワ行「え」がたりらりたりらり・・・」
「××時代には既にヤ行「え」がうんぬんかんぬん・・・」
という具合。「え」以外の「い」や「お」について考えると、話はもっとややこしくなるでしょう。

いずれにしても、
現代の母音の発音では、「え」は「え(e)」のみとされています。だから、私たちはそれを疑うこと無く信じ込み、音大という専門的な機関ですら「日本語の母音は5つだけです」と教育が為されています。

たしかに、私たちが日頃生活をしているときに、日本語の母音の色合いなんて考えたりはしませんし、何も意識せずとも容易く聞きとることが可能です。小学校などでは「母音は5つだよ」と教えていますが、生きる上ではそれで十分です。

しかし歌となったらどうでしょうか。

歌は、言葉の発音が音価によって引き伸ばされ、ひとつひとつの色合いが色濃く出てきます。ましてや歌詞には高い芸術性・センスがあるので、言葉の美しさを存分に生かす必要があります。

そのため、歌では、
言葉のひとつひとつの発音を、顕微鏡で見るかのごとく繊細に表現する必要があるのです。もちろん、普段の話し言葉も、顕微鏡で見るように分析すれば、母音は5つではないし、色合いも豊富なはずです。私たちは、普段はそれに気付いていないにすぎないのです。

まあ会話の場合はすばやく発音されるので、何も違和感なく聞きとれますが、音価の付いた歌というものの場合は、言葉のひとつひとつが聴き手に綿密にアプローチされるわけです。普段の会話のように自然に聞き流すことができません。だからこそ、全ての言葉を忠実に、そして豊かに表現しなければなりません。

そこで、先に説明しました歴史的な言葉を持ってくるわけです。

日本語には、現代語に対して歴史的仮名遣いや古語というものがあります。
今となっては使われなくなった表記・言葉ですね。その理由は、先に書いた「え」のように本来は色々分かれていたものが、現代では発音がほぼ同化してしまったからです。だから「え」はア行の「え」にしてしまおう!ということで、明治時代に言文一致が為されたわけです。

そのときに、ワ行の「え」であった「ゑ」をはじめ、「ゐ」や、「思ひ出」などという書き方までもが消えてしまいました(ただ面白いことに、現代でも「を」や「~は」のように名残はありますね)。

そのように話し言葉と書き言葉を一致させたことにより、日本語は随分と表現の幅が狭まってしまいました。

さて、少し上のところで「現代では発音がほぼ同化」と書きましたが、“ほぼ”と書いたように、実は完全には同化したわけではないのです。現代でも、言葉の持つ色合いが微妙に違うということはお気づきでしょうか?

実際は、方言とか話し癖とかによってバラツキがあるので一概には言えませんが、意識するのとしないのとでは全然違います。

例えば「わたしは」という言葉の場合、「わ」と「は」はどちらも「わ(wa)」と発音します。でも、普段無意識な状態で話すとき、微妙に違いませんか?「わたし」の「わ」はしっかり発音しますが、「は」は軽く「わ」と言っていると思います。

もちろん、語頭、語気などによって変わってくることもありますが、標準語で素読みをするときには、必ず「~は」の「は」は軽く読むのです。私が以前に朗読を習っていたときも、そういうアドバイスをいただきました。

ところが、今の上の話は、歴史的な発音が関係しているのではなく、単に「~は」は“助詞だから”軽く発音しましょうということです。私がこの記事で問題にしているのは歴史的仮名遣いや母音の豊富な色合いについてですから、「わたしは」の発音に関しては、例えが甘かったですね(^^;)

なのでもっと良い例を考えてみました。

「言いました」という言葉。これは歴史的仮名遣いにすると「言ひました」となります。しかも語頭の「言」はヤ行の「い」。その証拠として、現代でも「言う」は「ゆー」と発音することになっています(書き言葉では「いう」とルビをふる)。もちろんですが、「言いました」だと「いーました」と発音します。

さてこの「言いました」という言葉では、一個目の「い」の延長線上で二個目の「い」を発音するわけですが、歌うときはぜひとも区別して歌いたいものです。

「言」はヤ行「い」由来なので、完全なる[i]ではなくて、少し y を混ぜて[yi]のようにすると、歌では非常に自然に聞こえます。二個目はハ行「ひ」由来なので、完全なる[i]ではなくて、h を混ぜるかのようにして発音すると流れが生まれます。

しかし注意していただきたいのは、ハ行「ひ」由来でも、[hi]と歌ってしまうと、それは現代の日本語の発音とはかけ離れたものとなってしまいますから、あくまでも[hi]の色合いを出すだけに留めるようにすることです。書くなら[i]ですが、そこに h のエッセンス(流れ)を盛り込むだけということです。

『故郷』の歌詞に、「思いいずる」(歴史的仮名遣いでは「思ひいづる」)という言葉が出てきますが、
これを歌うときにも、ふたつの「い」を区別することで言葉が非常に明確になります。加えて、「思いいずる」は「思い+いずる」という複合語なので、「おもいーずる」とならないよう、二つ目の「い」は改めて発音し直すと聞き取りやすくなります。これは、学術博士でソプラノ歌手でもある藍川由美さんが『「日本のうた」歌唱法』(カメラータ)の中で指摘されているところです。

・・・という具合に、綿密な心がけを、すべての母音、そして子音についても行っていくわけです。途中でちょっと書いた“助詞”とかの品詞の役割における発音についても同様に考えなければなりません。しかも、そこに作詞者・作曲者や歌い手の感情表現を盛り込み、言葉に命を吹き込む必要があります。さらには発声法という大きな壁も立ちはだかります(^^;)

こうやって考えてみると、日本歌曲を歌うことは容易くないと言えます。日本語の専門家たちの中でもあまりハッキリしていないような事なのに、そこにあえて触れ、日本語が息の流れとともに自然に放出される歌唱法を見出していく必要があるのです。自分の歌声の質と闘いながら・・・。

それは非常に面倒で、気の遠くなるような作業です。センスも実力も必要です。
それができないと日本の歌はいつまでたっても不自然に聞こえてしまうし、「西洋もどきに歌ってるなあ」という印象しか残りません。

実際に、プロのクラシック歌手が歌っている日本歌曲の多くは、
母音の色合いが少なく、どことなくシステマティックに聞こえてしまいます。
私の知り合いに「日本語は5つしか母音がないから表現しにくい」と言っていた人もいます。

でも、それは間違いではないかと思うのです。

この記事の上のほうにも書いたように、
母音の数というのはマニュアルでは確かに5つしか存在していません。
日本語を学ぶ外国人だって、きっと「母音は5つだけ」と信じています。私の大学院時代のイタリア語の教師も、「日本語の母音は5つだけど、イタリア語では7つある」とおっしゃっていました。

それは全くもって正しい論ですが、
実際に口にしている言葉というのはマニュアル通りにはなりませんし、
古語や歴史的仮名遣いに見られる豊富な色合いというものが真底に生きているはずです。

歴史的仮名遣いでは、「こうろう(高楼)」を「かふらふ」と書きます(「春高楼の花の宴~♪」の「高楼」ですね)。

はるか昔には本当に「かふらふ」と発音したのではという説もあります。
それが11世紀頃(平安時代)にハ行転呼が起きて「かうらう」となりました(「う」はワ行の「う」です)。
そしてその後の鎌倉時代の頃から、「あう[au]」は「おー[ɔ:]」と発音するようになっていきました。つまり、「かう」は「こー」となったわけです(ちなみに、「う[ou]」は「おー[ɔ:]」よりも狭い発音の「おー[o:]」となりましたが、江戸時代にはその区別が無くなったようです)。

この手の話は私の専門分野ではないので詳しくは存じませんが、
そういったところを意識するだけでも、「こうろう」の発音に盛り込まれる色合いが変わってくるに違いありません。ただ単純に「こーろー」と歌ってしまうと、その言葉の持つ重みが無くなってしまう気がします。

逆に考えれば、母音が5つしかないように見える日本語にも、
もっともっと表現してあげたい色合いが隠れているわけです。そこを深く考えて歌い上げることができるのは、日本人である私たちだけです。DNAには大昔の日本人の血が流れています!生粋の外国人には為し得ない業です。

むろん、大昔の発音のまま歌ってしまうと時代錯誤ですからいけませんが、日本語の持つ妙味を味わいながら、しっかりと表現していけたら・・・と思います。今だって、完全に5つの母音になっているわけではないのですから、そこは思う存分活かしていきたいですね。

今回は、ちょっと専門的な小難しいお話となってしまいましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました。

 
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