俳優館の『群青』を観劇し、声無しボイスワークに参加

どうも!タラッタです。

今日(というか昨日)も非常に暑い一日となり、ちょっと外に出ただけでもクタクタ。10年前とかは平気だったのに、そろそろ老化も加速してきているのかな(^^;)

さて、そんな8月1日は、観劇&ボイスワークショップ。
まあ、順番に日記として書いていこうと思います。

俳優館『群青 ~雲流れる果てに~』観劇記録

総合劇集団俳優館の戦後70年企画『群青 ~雲流れる果てに~』は、昭和20年の鹿児島の知覧基地での、高等女学生と特攻隊員たちの心の軌跡を描いた作品です。ミュージカルなのかな?演劇の中に合唱があるといった感じでした。

場所は栄。愛知県芸術劇場の小ホールです。満席でした。そして冷房が寒かった!寒すぎるくらいでした。でも熱中症患者が出るくらいなら、寒いほうがマシかもね。

あ、そういえば、隣のオアシス21でコスプレサミットがやっていて、オアシス21は芋洗い状態になってましたね。コスプレをした人たちが、芸文のロビーまで涼みに来ていました。よくぞ猛暑日にあんな暑そうな格好できますね~。感心。でも汗疹とかできそう・・・。

おっといかん。話を戻しましょう。

もう、それはそれはツラいお話でした

戦争をテーマにしたお話ですから、そりゃツラかったです。いや、私は戦争の話は祖母からしか聞いたことがないのでツラいとは言えぬ立場ですが、あんな狂った時代があったのかと、つくづく思いました。

当時だって、誰もが戦争なんて嫌だったはずです。なのに、なぜ・・・。

特攻って、敵艦に体当たりして死ぬだけです。

今日学んだ言葉に「八紘一宇(はっこういちう)」という熟語があります。元々は美しい言葉だったのですが、戦時中に頻繁に使われ、今となっては悪いイメージが染み付いている言葉だそうです。お国のために一丸となることを意味します。

そして、「十死零生(じっしれいしょう)」。「九死に一生」というのはまだ生きる望みがあるものの、「零生」なんですから、生きて帰れる確率は0。特攻隊というのは、そういう概念のだったんだそうです。「死ぬかも」じゃなくて「必ず死ぬ」ものだったんです。

敵艦に体当たり。しかも馬鹿でかい爆弾を積んだ飛行機で・・・。その飛行機といえば、ちゃっちい練習機だって使われたそうで、もう敵に歯向かうこともできず、ただただ人間爆弾となって突っ込むのみだったようです。

ある隊員は、エンジン不調や天候不順によって引き返したのですが、上から怒声を浴びせられるのです。本人は生きて帰って来れたことを喜ぶこともなく、死にきれなかった惨めさを悔やむ。でも、やっぱり一分一秒でも長生きできたらいいなという本心もあって、そのふたつの思いの間での葛藤があり・・・。

・・・今日はそんなシーンもあり、本当におかしな時代だったと、改めて気付かされました。

それと、何とも切ないのは遺書ですね。遺書って言っても、その頃は検閲を通さねばならなく、本心なんて書けなかったそうです。だから、劇中ではある隊員は女高生に「代わりに届けてくれ」と遺書を託すのですが・・・。それもまた、切なくて。

実際には、多くの人が遺書を書いています。家族を思ったり恋人を思ったり母を思ったり・・・。どれだけつらい思いだったのか。本人はもちろん、家族だって。

そうやって色々頭の中を巡り、私はついに胸がキューッと。今も、書きながら目頭が熱く・・・。

すみません、感傷に耽ってしまって。

そして感動したのは、憲兵の優しさ。劇では元々そういうキャラクター設定になっていたのかはどうか分かりませんが・・・。

春うららの日に、女高生が掟を破って、敷地外で特攻隊員と仲良く会話したり首飾りを渡そうとしたりするんですよ。女高生たちも隊員も、お互い恋心を抱いていたようです。隊員が去った後、女高生のところに憲兵が現れました。そう、掟を破っていたのが見つかったんですね。

憲兵は怒鳴り、女高生を威圧します。ここで普通なら、憲兵は女高生をただではおかないでしょう。掟なんか破ったら、即逮捕とのこと。でもですね、女高生たちが隊員に恋心を抱いていることを悟った憲兵は、「今回ばかりは見逃してやる」と・・・。

憲兵は仕事として情を欠いているつもりですが、本当は人情のある優しい方だったんでしょうね。まあ、ただの私の思い込みかもしれませんが、今日のを観てそう感じられたんです。そしたらもう、目から塩気のある水が・・・。

狂っていた時代ですから、本当に無情な人間も多かったことでしょう。でも、中には人間としての心を失っていなかったんだなと思うと、なんだかホッとしてしまって・・・。ホッとして良いシーンだったのかは分かりませんが、現代の皆が優しい心を大切にし、それを守っていかないとね・・・と思いました。

戦争は嫌です。絶対にダメ。

戦争のことは闇に葬るべきなのか忘れちゃ駄目なのか・・・。葬れば学習できないし、忘れなければ忘れなかったで変に感化されていくのも怖くて。私はその辺の整理がつきませんが、これからの情勢に対する神経を、麻痺しないように常に尖らせ、早いうちから兆候を食い止めないといけない・・・そう強く感じました。

声を出さないボイスワークショップ

さてここから、少し明るいお話になります。ごめんなさい。上記では暗い話をしてしまって。

『群青』を観た後は、場所を栄から離れ、東別院にある会場へ。・・・の前に、時間があったからコメダでホッと一休み♪外は焦げそうなくらい暑かったですが、中はヒンヤリ♪でも飲んだのはホットのたっぷりアメリカン。そしてホットドッグを食べて。ホットばかりです(笑)

それから、ワークショップ会場に移り、声を出さないボイスワークショップ(正式名称ではありません)に参加しました。講師は、イギリスで発声について学ばれた、大阪にある割と大きな養成所の先生。今回、春以来の2回目です。

声を出すための体を整える・・・ざっくり言えばそういうレッスンですね。今日は脊柱や骨盤などの動きや役割を中心に、レクチャーを聴いたり、実際に体を使ってエクササイズをしてみたりと、楽しいワークショップでした。床でゴロゴロ~って転がったりもしました♪

ポイントは、いかに身体を弛緩させるか?ですね。

発声といえば、古くは胸を張って腹で息を吸って・・・というのがよくあるパターンでしたが、先生によると、最近は、いかに体を自然な状態のまま声を出すかが重視されてきているとのこと。ニュートラルな状態であり、かつ省エネである、と。

ワークショップでは、そういった意識や感覚の一部を体得しました。うん、大事です。いかに自然な状態で自然に声を出すかっていうのは。

「大きな声と届く声はイコールではない。なぜなら、声は骨伝導で体に共鳴し、それが相手に伝わるのであるから。だから、いかに体の細部の骨まで音を伝道させて、体の洞に共鳴させるかが大事。そのためには・・・云々」といった点も、改めて考えさせられました。

以前、別の演技の先生にも似たようなことを言われたことがあるんですね。「大きな声はいらないよ。通る声や響く声が必要なの」と。今日はその意味がより深まった気がします。

よし、歌に活かすぜ!

まとめ

と、まあ、今日はそんな一日でございました。とにかく暑かったです。今いるわが部屋も暑い。熱帯夜だ!なぜなら、エアコンが故障しているからです。この夏、扇風機だけで寝てます。暑くて何度も目が覚めます。

でも、もう8月だし、あと少しすれば、涼しい夜もチラホラ出てくる気がします。8月8日には立秋なので、そろそろ秋の気配が垣間見えてくるのではないでしょうか。まあ、実際は残暑が続きますけどね、暦上秋っていうだけでも、気持ち的にちょっとは楽になれそうです。

 
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