映画「君の名は。」とクラシックコンサートの姿 & 感想

君の名は。

 ネタバレ要素があるかもしれんでご注意ください。

新海誠監督の映画「君の名は。」。

その人気たるや、すさまじきもの。

今朝の朝日新聞(2016年10月5日の朝刊)には、歴代興行収入ランキング15位* とありました。興行収入は130億円を突破したようです。当初は20億円が目標だったそうですが、それを大幅に上回っとる形ですな。

* 興行通信社調べ

TwitterなどのSNSでも若者を中心にたくさんシェアされとり、いまだに熱が冷めんような状況。ここまで人気があるだなんて、私自身想像すらしとらんかった。正直アッパレです。

シンクロできるライブ感こそ人気の秘訣!?

さらに朝刊には気になることが・・・。

音・映像シンクロ はまるライブ感

 (中略)

(徳間書店のアニメ専門誌「アニメージュ」編集部の鈴木雅展さん曰く)「音楽市場でライブが強くなったように、今の若い人は『体験』にお金を使いたい。『君の名は。』のクライマックスは生理的快感を与えてくれ、ライブのような体験的要素があった」

朝日新聞2016年10月5日朝刊 文化・文芸コーナー 「君の名は。」旋風なぜ より

「君の名は。」には音楽ライブに参戦するときの  “ シンクロ感 ”  があり、それらが今の若い世代(特に10~20代)の心を掴んだ…というわけですね。で結局、「君の名は。」の感動をTwitterなどでシェアし、口コミは広がり・・・。

たしかに、私が観に行ったとき、そういった趣を感じました。私自身がシンクロしたというより、「なるほど!これは若者たちの心をキャッチしないはずねぇな」と思ったんです。

「君の名は。」が人気出たのは、アニメであるということや、絵柄、登場人物の心理描写や恋の行方なども関係しとると思うんだけれども、ライブ感があったというのも大きな要素だったと、朝刊を読んで改めて認識しました。

クラシック音楽コンサートでもライブ感を!

朝刊に目を通してから、私は少し悶々と考えました。

なぜクラシックコンサートは爆発的ヒットが起きないのか

私はクラシックの声楽の道で生きとる者で、これまで、数々のクラシックコンサートを鑑賞してきました。会場に行けば、そのコンサートの内容に興味がある人や、出演者の知り合いやファンがたくさんおるわけです。

「これはすごいコンサートだ!」と音楽仲間内で話題になったコンサートもあり、“ 行かない=損 ” という図式をひしひしと感じてしまうようなこともありました。

しかし、いざ “ 世間 ” に目を移してみると、クラシックコンサートに足を運ぶ人は少ない。音楽仲間内で話題の人気コンサートでさえです。

結局のところ、趣味の合う人同士でワイワイ楽しんどるだけなんでしょうね。

そんなんだからか、中には「コンサートのどこが面白いの?」「そんなんに金かけて見に行くなんて・・・」「類は友を呼ぶんだね」と馬鹿にしてくる人もおります。

私は正直「クソッ!」って思いましたが、よく考えてみたら、クラシックには特に面白い要素ってない。まあ、私のような物好きにとっちゃ色々面白いポイントがあるわけですが、世間的には、ちょっと近付き難いのがクラシックコンサートというものです。

「君の名は。」に学ぶ

そこで今日、朝刊にあった「君の名は。」に関する記事を読み、ちょっと考えたわけです。「仮の話、クラシックコンサートがもっとメジャーになって爆発的ヒットを生むためには、ライブ感や体験的要素を盛り込むことがまず必要なのでは?」と。

まあ、継続公開される映画と一発公開のコンサートを比べること自体おかしな話だし、ヒットを生んだからといってそれが歴史的価値のあるものである保証はないですが、もっと観客とシンクロするような内容にしてみるとかすれば、何か変わる気がするんですよね。

クラシック音楽は元々共感・シンクロしづらいのかも

クラシックって、恋の歌にしても、現代日本人とは感覚がズレとるんです。

イタリアの歌だと「君が大好きだ。なぜつれなくする?愛してくれなきゃ死ぬ!」という内容だったり、ドイツなら「月が出るとき、花は蕾を開いて聖なる顔を見せる」とか言ったり、日本歌曲でも「ひとつ星が今日は見えない」・・・。

曲によって、オープンリーだったりセンチメンタルだったりまわりクドかったり描き方はさまざまですが、現代日本人にとっては、ちょっと古めかしかったり、痛々しかったり、臭かったりするような内容が多いんです。

オペラにしても、女を別の女に変装させて男を騙したり、王家の叶わぬ恋の話だったり・・・。

歌詞のないオーケストラ曲だって、興味のない人からすれば聴きポイントがハッキリせず、現代人の一般的な(平均的な)感覚とはなかなか共鳴しませんよね。

私は、クラシック音楽は ある程度教養や理解力がないと、なかなか共感しづらいものがあると考えとります。「君の名は。」のごとく聴覚・視覚のシンクロもしにくく、その世界にわが身を投じることもなかなか難しいものがありますね。

けれども、作曲家のバックグラウンドを知ることで理解が深まったり、作曲当時の文化を把握してこそ面白さを感じたり…ということも非常に多く、それを繰り返すうちにクラシックにシンクロしやすいセンスが身に着くと思うのです(個人差はあると思いますが)

となると、どう考えても、まだまだ人生経験の少ない若者、それも、現代の情報化社会に生きる慌ただしい若者にとっては、クラシックは高尚で面倒なものであり、つまらんものとなります。いや、40代50代の人でさえも、そう感じる人が多いでしょう。

もし、クラシックコンサートに、「君の名は。」に見るライブ感があれば、少しは垣根も低くなると思います。直接的に訴えかけてきて、いちいち考えなくて済むような刺激が必要な気がしますね。

だけど、聴く側も努力してみてほしい

でもですね、クラシックも知れば知るほど、面白く感じる可能性がある。教養と理解力が~とか言いましたが、変な偏見や先入観をなくして音楽に身を委ねれば、自然と想像力がかきたてられ、「君の名は。」以上の空想の世界に行けるはずです。

だから、正直なことを言えば、聴き手のほうにこそ、クラシックをもっと身近に感じる努力をしてほしい。勉強もして、深い面白さを味わってほしいです。そうやってこそ、クラシックの本当の良さを感じれるんですから。

聴き手が受け身になって刺激だけを求めてはクラシックは廃れる。考察し、理解に努め、じっくり味わってこそ、クラシック音楽がクラシック音楽でいられる気がします。

・・・ちょっと内容が「なんのこっちゃ」な感じになってきたので、真面目な話はそろそろ終わりにしましょうか。

【おまけ】「君の名は。」を観ての感想

クラシックのことは忘れてご覧ください♪

話題ほどではない

「君の名は。」は、平たく言えば初(うぶ)な恋のお話です。それも面白くはありましたが、まあよくあるような感じがしましたね。

たしかに、瀧くんはイケメンだし三葉もかわいい。現役の高校生たちにとっては、自分の置かれとる立場と共通するところもあって、世界に引き込まれやすかったと思います。感情移入もしやすかったのでは。

ただ、私は、この歳(といってもまだ20代ですが)のせいか終始客観的に観ており、ちょっと冷めた目でもありました。だからでしょうか、ジブリっぽいな~と呑気に観とったし、よくある男女の恋物語だな~って思いつつ席にふんぞり返ってました。

とても話題性の高い映画だったのですが、意外にフツーでしたね。

SFチックな感じが面白かった

恋物語に感情移入はしませんでしたが、SFチックな物語でもあり、そこはとても面白かったです。

瀧は東京という都会に住み、三葉は岐阜県の飛騨地方にある糸守町(実在しない)に住んどるんですが、その離れた2人の心が、日によって入れ替わってしまうんです。

で、直接会うことはできなくても、日記等で話をしたりして、お互いの心は近くなっていきます。

途中まで、私は特に何も考えず同じ時間軸のつもりで観とったんですが、実は、三葉は3年前に隕石落下の犠牲者となっとったことが発覚。つまり瀧は、3年前に死ぬ前の三葉と入れ替わったりコミュニケーションとったりしとったわけです。

もう、この時点でSFですよね。

その後も、瀧は3年前の三葉に会いに行こうとしたり、三葉は3年後の瀧に会いに行こうとしたり。この辺の展開は是非映画で楽しんでもらいたいですが、もう不思議で奇妙で面白かったですね。

私は音楽が専門ですが、相対性理論だとかタイムトラベルだとか四次元空間だとかワームホールだとかの物理学的なお話が好きで、ちょくちょく調べたり、雑誌『ニュートン』を本屋で立ち読みしたりもします。

そんな私にとって、「君の名は。」のSF的な内容はとても興味深いものがありましたね。

飛騨の方言にちょっと親近感

私は愛知県の者でして、日頃は名古屋弁(尾張弁)を使っとります。

で、飛騨といえば、愛知県のお隣の岐阜県。飛騨弁は名古屋弁とちょっと似とります。でも飛騨弁のほうがちょっと関西チックな感じはしますが。

ちなみに、飛騨市と名古屋市は、直線距離で約120kmほど。けっこう近いです。奈良県の奈良市も、名古屋市から120kmくらいです。

参考までに書いとくと、東京から半径約120kmにあたるのは日光市(栃木県)や富士市(静岡県)、大阪市の場合は徳島市(徳島県)や鳥羽市(三重県)や弥富市(愛知県)です。

大学時代、同級生に飛騨出身の女の子がおったんですが、飛騨弁で喋っとりましたよ。その飛騨弁は実に名古屋弁に近かったのを覚えとります。

飛騨弁と名古屋弁とで共通する言い回し例は、以下のとおりです。地域によって多少の違いはあると思います。( )内は標準語。

  • やりゃ~ (やったら?)
  • ままおいたわ (もうやめたよ)
  • ~せなんだ (~しなかった)
  • あっつい (暑い)
  • カギをかう (カギをかける)
  • あんばようやっとってな (きちんとやるんですよ?)
  • えらい (疲れた)
  • かにする (許す)

などなど。全く同じでなくても、似たようなものたくさんあるで、興味があったら調べてちょーよ♪

とは言え、やっぱり飛騨弁は飛騨弁。名古屋弁と違う点も多いです。この辺も、興味があれば調べてみやぁ~♪

で、ちょっと気になったのが、声優さんの中に、飛騨弁のアクセントやイントネーションがぎこちない人がおったと思うんですが、そう思ったのは私だけですか?

私の同級生が喋っとった飛騨弁と比べるとなんか違う…というか、そこまで大阪弁っぽくなるか?って思った点が多々あって・・・。

まあ、私自身飛騨出身じゃないで何とも言えんけど、どうなんでしょうね?

名古屋駅も出てきて嬉しかった!

映画の中には名古屋駅も出てきて、電光掲示板をよく見たら「中津川」と書いたりました。中津川は岐阜県の都市ですが、割と近いところにあります。

また、飛騨市へは名古屋駅からJRで行けますが、瀧たちはワイドビューひだ(特急)に乗って向かった模様。

名古屋市を出ると、織田信長たちの清洲城がある清須市、某カレー店の産業廃棄物処理業者の件で全国に知れ渡った稲沢市、そしてモーニング喫茶の発祥地である一宮市などを通って、木曽川を渡り、岐阜県は岐阜市へと入っていきます。

岐阜駅までは東海道本線。岐阜駅で電車の進行方向が変わり高山本線に入線しますが、ここは非電化区間(つまりディーゼルで動く車両しか入れない!)です。

岐阜から高山までがとても長く、ワイドビューひだでも2時間以上。

「高山行き」のワイドビューひだに乗って来た場合は、高山駅で普通電車に乗り換えることで飛騨市(瀧たちが降りたのは飛騨古川駅かな)へと向かうことができます。「富山行き」や「飛騨古川行き」のワイドビューひだに乗って来た場合は、高山の次の停車駅が飛騨古川です。

なお、三葉のいた糸守市は実在しないので、夢の馬車に乗って行ってくださいw

とにかく映画には、地元にちょっと近い場所が出てきたわけで、そこがまた嬉しいポイントでしたね^^

あと、映画には美濃太田行きの電車も出てきました。美濃太田といえば、日本昭和村の最寄り駅です。美濃太田駅からバスまたはタクシーが出とるはずです。

名古屋と飛騨青い線が、名古屋から飛騨への道のり(JR)です。
ただ、実際「飛騨駅」というのは無く、別の名前です。
※クリックすると画像が大きくなるよ!

総評「まあまあ良かった」

うむ。偉そうなことは言えませんが、まあまあ良い映画だったと思います。特にスゲーとも思わず、ダメだこりゃとも思わず、普通に楽しめました。

でも、私には、元々映画に隠れた意図を見出そうとするクセがあり、「君の名は。」でも同じことをしましたね。

隕石が落ちてきて街がバーンとなって多くの人が犠牲になった。でも、瀧は三葉を死なせないように過去を変えようとした。電気施設も出てきた。お役所の風刺も描かれとった。

その一連の出来事に、東日本大震災の頃からよく意識されるようになった津波てんでんこなどを感じましたし、原発のことや、昨今多い災害や政治家の仕事ぶりとも重なる部分があったように思ったんです。

まあ深読みかもしれませんが、そんな見方をする私には、「帰ってきたヒトラー」とか「シン・ゴジラ」のほうが合っとるような気がしました。むろん、「君の名は。」も良かったですけれどね。

最近の作品は世相の風刺がやたら目立ちますが、もしかしたら、その気がなくても制作者サイドの心や視聴する我々の心には、あの日の災害や昨今の情勢のことが色濃く焼き付いとって、それによる思いが知らず知らずのうちに反映されるんかもしれませんね。

 
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