間違えやすい日本語の例と、間違いについての私の考え

どうも、t痛ッ!肘が当たった・・・あ、すみません、気を取り直して・・・どうも、タラッタです!

声楽をやっているからこその性分でしょうか、私はよく言葉について考えます。普段、何気なく使っている言葉も、正しいかどうか考えながら生きてます。

でも、完全に完璧な日本語を話すのって難しいですよね。当たり前です。ロボットじゃないんだからね。それに、正しい日本語って言ったって、教科書や辞書に書かれていることが一応基準であって、それに100%従わなきゃいけない!ってのも変ですしね。

てなわけで、今回の記事では、いつも以上に言葉を気にせずにタラタラ書いてます^^

そういえば、この記事のタイトルに「間違えやすい」ってありますけど、「間違いやすい」とどっちが正しいのか?って言ったら、さて、どっちだと思いますか?

答え、どっちも正解。「間違える」の活用か「間違う」の活用かの違いですね。じゃあ、「間違える」と「間違う」の違いは?って訊かれたら・・・、話がややこしくなるので、これ以上は学者さんにお訊き願います。

さて、小難しいお話をしても仕方がないので、ここで日本語の言葉の誤用例を挙げてみたいと思います。

言葉の誤用例

あなたも間違えていないか、改めて確認してみてくださいね。

「以外」と「意外」

これはネット上でよく見かける間違いですね。間違いというより、変換ミスをそのままにしている可能性が大きいですが、読み手にとっては非常に気になる誤用です。

例)あなたって、イガイに歌がうまいのね。

さて、このときの「イガイ」は、「以外」か「意外」のどっちでしょう?・・・答えは「意外」です。思っていたことの外(つまり予想外)というわけです。

「延々と」と「永遠と」

実はこれ、私も最近まで誤用していました。この誤用も、ネット上で度々見られます。プロの作家さんでも間違えていることがあるようです。まあ、言葉の響きが似ていますからね。それに、「延々と」という言葉自体、あまり見ないし(私だけ?)。

例)今日は、延々と作業を続けた。

このような使い方をしますね。

無限に続くような様をどうしても表現したいときは「永遠と」でもOKじゃないか?と思いますが(私は今までそう考えていました)、「永遠」という言葉は名詞か形容動詞として使うべきらしいので、言うなら「永遠に」(形容動詞「永遠だ」の連用形)という表現のほうが適切ということになります。

ところが、古語的に考えてみると、「永遠」の形容動詞は「永遠たり」(えいえんたり)になると思う(※)のですが、そうだとすれば連用形として「永遠と」とすることができます。じゃあ、「永遠と」という表現は文法的に正しいことになろう!って思わなくもないんですね。

 ※ 私の勝手な思い込みの可能性大です。ネット「永遠たり」で検索しても何も出てきませんでした。私は「永遠」というのが音読みなので、漢語と判断して タリ活用 になるかな?と。違っているかもしれないので信用なさらずに(^^;)じゃあ ナリ活用 はどうか?と調べたら、「永遠なり」も無かった・・・。機会があったら高校の国語教師をしている知り合いに訊いてみようかな。

まあ何はともあれ、「延々と」は正しく「永遠と」は間違っているようです。「永遠」を使いたくば、「永遠に」とすべきかな、というのが私の見解です。でも、細かい問題なので、こんなことでグダグダ言うのもちょっと女々しい気もしますね(^^;)それを言っちゃあ おしまいですかな?

「的を射る」と「的を得る」

これは、きっと多くの方が「的を得る」と使っている気がしますが、正しくは「的を射る」だそうです。

まあ、今では「的を得る」でも正しいことになっているようです。まあ、意味は通じるので、どちらを使われようが私は気にしません。的は射るものではありますが、昔は矢を当てたことを「得る」と表現したこともあるようですしね。ただ「的を射る」と言ったほうが、現代人である私にとって、イメージがしやすいのは事実です。

けれども、たとえ「的を射た」と正しく使っても、現代では逆に「コイツ間違えてやんの」って思われるかもしれませんね。いや、シロクロつけるならばアンタが間違いよ!

「味わわずに」と「味あわずに」

「味わわずに」が正解ですが、「味あわずに」と書いている人も少なくないですね。どこかの記事でも何度か見かけたことがあり、書いた人がプロ(?)のライターであったことからも、ちょっとまずいんじゃないか?って思いました。

元の形は「味わう」で、最後の「う」はア行の「う」ではなくワ行の「う」。だから、活用するときはワ行で活用するのです。

古語で活用させると「味わわず・味わゐたり・味わう・味わうとき・味わゑど・味わゑ」(あえて旧仮名を使っています)となり、現代語では「味わわない・味わいます・味わう・味わうとき・味わえば・味わえ」ですね。

「味わわずに」という書き方がシックリこない方もいらっしゃるかもしれませんが、文法的には正しいのです。「味あわずに」だったら、原型はどうなるのさ?って話になってしまいますね。

「ベッド」と「ベット」、「ドッグ」と「ドック」

Facebookの友人にもけっこういるんですよね、この間違い。いや、そもそも外来語なので、日本語表記するのは少し無理があるかもしれません。

が、bed の d は濁るし、dog の g だって そう。だから、bed を「ベット」、dog を「ドック」とはならないはずです。日本語の自然な表記の範疇で外来語を表現するなら、やはりbed は「ベッド」、dog は「ドッグ」としたいところですね。逆に、bet だと「ベット」、doc なら「ドック」となります。

ほかにも似たようなのがあって、「コミュニケーション」を「コミニュケーション」としたり、「シミュレーション」を「シュミレーション」としたりするのも目立ちます。英語のつづりを見れば、どっちがふさわしいかは一目瞭然です。

ちなみに、グーグルで「コミュニケーション」と検索したら42000000件、「コミニュケーション」と検索したら485000件ヒットしました(2015年6月21日現在)。まあ、SEOを狙ってわざと間違った言葉をキーワードにサイトを作成している方もいるかもしれませんが、485000件というのはちょっと多すぎですね(^^;)

「間髪を容(入)れず」の読み方

「かんぱつをいれず」と読む人が多数だと思いますが、実は誤りで、「かん、はつをいれず」と読むのが正しいようです。まあ、現代では誤っているほうが正しいと見なされ、正しいほうが誤っていると見なされそうな気がしますが。

なぜ?と思った方は、ぜひ調べてみると良いでしょう。ちなみに私は、どちらも使ったことがありません。そもそも「間髪を容(入)れず」って、なんか難しい感じがしませんか?「どんな意味?」って聞き返されそうです。だから、「すぐさま」とか「即」という感じで、場面に応じて分かりやすい言葉に言い換えたほうが実用的な気がします。

「気の置けない人」の意味

「あいつは気の置けない人だから嫌だ」といった使い方、していませんか?まあ、そういう使い方もありっちゃありですが、実は「気遣いをする必要がない人」って意味なんです。

知っている人は知っている意味ですが、なんとなく負のイメージのある言葉なので、あまり使わないほうが良い気がしますね。そこはハッキリ、「気遣いをする必要がない人」って言っちゃえばええのッ!

「爆笑する」の意味

「私、これを読んで爆笑したわ!」という使い方、実は間違っているんですってね。「爆笑」というのは、爆発的な大笑いのことではなくて、大勢がどっと笑うことを意味するようです。だから、「漫才を観ていた観衆が爆笑した」という使い方ならOKとなりますね。

ふむ。難しいですな。こういう感じで、きっとあなたも私も、もっと間違って使っている言葉があるかと思います。常に勉強を絶やさないことが大切ですね^^

誤用は無教養?そんなことはないと思う

よくネット上で、「言葉を間違って使っている人を見ると、この人には教養がないんだなと思ってしまう」といった感じの発言が見られます。

でも、私はそうは思いません。人それぞれ、生きてきた環境や歴史、興味を抱く対象って違うと思うのです。さらには、地域・文化的背景、個性といったものまで関わってきます。だから、言葉は生き物であって、誤用もあって然りというわけです。

教養教養といいますが、教養は言葉(国語)だけではありません。数学だって英語だってそう。言葉に目くじらを立てるなら、ほかのことにも関心を持ってこそ良いバランスとなるのです。

また、日本人が英語をなかなか喋れないのは、ひとつ「誤用=悪」といったイメージを抱いていることにも起因すると思うのです。

言葉ではないですが、声楽でもそうです。歌のレッスンをしていると、生徒さんの中には間違えたことばかりに意識がいってしまう人がいます。そしてひとりでに恥ずかしがるのです。

でも、間違えるか間違えないかなんて、さほど大きな問題ではありません。間違えないなら間違えないで越したことはないですが、言葉の場合、言わんとしていることが伝わるかどうか?自分の意思や脳内の像が伝えられるかどうか?それが最も大切だと思うのです。

そりゃ、あまりに誤用が目立ったり言葉遣いが悪かったりすれば、「何だコイツ、本当に大丈夫か?」って思ってしまって信用問題にかかわりますが、ちょっとやそっとのことは間違えても大丈夫だし、間違えない限り、先に進めないでしょう。

今「先に進めない」と言いましたが、指摘してくれる人も必要です。ただ罵倒したり、あまりに重箱の隅をつつくような指摘は、それはそれでNGですが、間違いを教えてあげるのも、また優しさだと思っています。逆に、そういった優しい指摘には、間違えた側も素直に認めることが大切ですね。

まとめ

今回は、間違えやすい日本語の例と、間違えることに対する私の考えを述べてみました。

言葉というのは生き物。そして、変わっていくもの。しかし、正しい日本語を知ろうとする前向きな意識も必要だと思います。また、文章を書いたらなるべく見直し、言葉の使い方に対して敏感になることも大切でしょう。

それに、間違いというのはなかなか本人は気付けないので、気付いた人が優しく教えてあげることも大事。もちろん話の腰を折らない程度に、ですね。そう、お互い様です。

以上、声楽が専門である私なんかが言葉について偉そうに、失礼いたしました。でも、声楽は言葉と深く関わっています。実は歌詞にも、たまに変な言葉遣いがあったりしますよ。「せっせこ」とか(^^)

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朝日新聞校閲センター長が絶対に見逃さない 間違えやすい日本語

 
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