耳コピって聞くと凄い能力に思えるが、本当に凄いのか?

耳コピ

どうも!タラッタです。

Twitterの中でサーフィンして色々な人のプロフィールを読んどったところ、とあるワードを多く見かけました。それはずばり、「耳コピ」です。

「耳コピ」というのは、その名のとおり「音を耳で聴いてコピーすること」なのですが、ネット上には、

耳コピ(耳コピー)とは、音楽を耳で聴いてコピーする(=演奏を再現したり楽譜を起こす)作業・技術である。タグとして用いられる場合は、「全ての音を忠実に拾い、原音と同じような音色で演奏した」という意味である。

引用元:ニコニコ大百科(仮)

という説明もあったりします。

ところで、この耳コピっていう能力なのですが、実に多くの若者たちが持っとるようなんです。Twitterのプロフに「耳コピできます」といったようなことが書いたったりして、私は正直、妬ましく思ったりしました。

だって、耳コピって、すごい能力なんですよ?音を一音一音逃さず聴いて楽譜にできちゃうんですから。

ところで、私が音大生時代、「ソルフェージュ」が必修科目でした。メロディーやリズムを聴いて楽譜に書いたり、新曲をパッと見て歌うといった授業です。クラス分けがあったんですが、たしか7,8クラスくらいありました。

その中で、私は最高レベルクラスの「S」に入ることができました(Aのときもありました)。これは、自慢できるようなことではないですが、まあちょっと嬉しかったことです。

・・・けれども!!

私は耳コピが得意ではありません。むしろ苦手と言っても良いくらいです。

例えばですが、今からクリアな音質でパッヘルベルのカノンを聴いたとしましょう。

耳コピが得意な人なら、これを1回ないし数回聴いただけで楽譜にできてしまうんですよね!?(耳コピってそういった能力のことを指すってことでええですよね!?)

でも私は、何回聴いても楽譜を完成させることはできんし、きっと聴き落としもあると思うんです。そもそも、ソルフェージュの授業でやった単旋律や4声の和音の聴音作業ですら苦戦しとりましたでねぇ(^^;)

そういえば、かのモーツァルトは、14歳のときにアレグリの「ミゼレーレ」という9声の合唱曲を、たった1回聴いただけで正確に楽譜に起こしました。その曲は、システィーナ礼拝堂の門外不出の曲でしたが、こうして門外に流出しちゃったわけです。

耳コピって、本当はそのくらいの能力のことをいうんではありませんか?いや、さすがにモーツァルトほどとは言いませんが、複数のメロディーを数回以内で聴いて正確に楽譜に起こせるっていう能力のことをいうんではないでしょうか?

私の周りにも、それほど「耳コピ得意」と言う人はおらんかったです。むしろ音大生なんか「ソルフェージュ大っ嫌い!苦手~!」と言っとった人が多かったです(まあ、学生のレベルがピンキリな音大だったためそうだっただけかもしれませんがw)

そのせいか、Twitterとかで見られる「耳コピできます!」「耳コピが得意」っていうアピールは、ちょっと疑ってしまうんですよね。「それ、何度も何度も聴いてやっと楽譜に起こせるってことを大袈裟に言っとるだけじゃない?」と。

いや、本当にパッと起こせるなら凄いと思います。妬ましいですけど、凄いです。

でも、一度ないし数回だけ聴いて楽譜に起こせたり、一度ないし数回だけ聴いて演奏したりできるような能力でない限りは、たやすく「耳コピできる」と言ってほしくないな!というのが私の正直な気持ちです。まあ、それを制限する権限なんて無いですけどね。

今のTwitterにある「耳コピできます」が正しければ、特別な能力のある者がたくさんおるということになります。で、本当に才能があるなら、音楽界でもっともっと有名になってもいい気がするんです。

それか、今の子たちには耳コピが得意な人が増えとるんだろうか?だとすれば、そうなった要因は、この日本社会や教育のどこにあるのだろうか?いやもしや、実は過去にも耳コピが得意な人はけっこうおったけど、ネットが無くてアピールできる機会がなかっただけか?

いずれにせよ、耳コピできる人が多いと分かれば “当たり前な能力” として見なされるわけなので、有名になるもならんもありませんね。逆に耳コピが苦手な私のような人のほうが異端かもしれません(笑)

・・・うむ、耳コピというのはたしかに凄い能力です。

しかし、もしかすると、今ではその言葉の意味が広く解釈され、もっと気軽な意味で使用されとるだけなのかもしれませんね。そうなれば、特別凄い能力とは言えません。

それでもなお、“本当の耳コピ” ができるとすれば、 いつの時代でも、それは凄いことだと私は思います。

 
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