なぜ人は音楽に感動するのか?その答えを私は知らない

どうも!タラッタです。

音楽を聴いたとき、たまにブワ~っと涙が流れることはありませんか?
涙が流れなくても、ジ~ンと来たことのある経験、誰にでも少しはあるのではないかと思います。

では、なぜ人は音楽に感動するのでしょうか?
実に不思議ですよね。

また、人によって感動する音楽も違います。
こんな曲で??っていう音楽で感動する人もいるし、こんな素敵な曲なのに??っていう音楽で全く感動しない人だっています。面白いですね。

実は、なぜ人は音楽に感動するのか?という研究が、脳や神経などの分野では進んでいるようですが、結果はいまだ明らかになっていないようです。ともなれば、やはり科学を超越した何かが、人間の内部で勃発しているのかもしれませんね。まあ、私としては科学で解明されてほしいな~と思うわけですが。

以下では、私なりの感動論を述べたいと思います。

感動するそのとき、心の中の何かと呼応する

私が感動する音楽を聴いたとき、心の内部にある何かと呼応しているのを感じます。
それが具体的に何か?と訊かれたら返答に困りますが、フィット感をすごく感じるのですね。

その“何か”とは何か、ちょっと今考えてみたのですが、
自分自身の持つ心情だったり考え方だったり理想だったり、・・・なんかよく分からないのですが、音楽を聴いたときのイメージ画像・映像が、見事にその“何か”に当てはまっている気がします。

たとえそのイメージ画像・映像が架空のものでも(というかほとんどが架空ですが)、自分が心に抱いている価値観や理想などのようなものと呼応すれば、「これだ!あーーッ」という感じで感動します。

懐かしい思い出と音楽

一方で、懐かしい思い出と音楽がリンクし合っている場合もあります。

昔の楽しかった子供時代に聴いたり歌ったりした音楽で感動することがあると思います。特にお年寄りたちは、昔の唱歌とか童謡を聴いて涙することもあるでしょう。

私の父方の祖母は認知症に侵されてしまっていますが、
子供時代に尋常小学校で習っていた唱歌を私が歌ってみると、祖母が涙ながらに歌い出したりするのです。昔、みんなと一緒に、先生のオルガンに合わせて歌ったのでしょうか。それに、家には親もきょうだいもいて。そんな昔に帰るのでしょうね。

私も、子どもの頃に保育園とかで習った曲は非常に懐かしく感じます。
まだ若いのか、涙が出るほど感動するということはあまりないですが、これから先、昔の曲はどんどん懐かしいものになっていくのでしょうね。

恋愛と音楽

こんな私でも、一応恋愛経験はありますが(笑)、
私は恋愛と音楽が密接にかかわっていたことはないですね。

あなたはいかがですか?
「この音楽は、私の彼(彼女)への気持ちを表現していて、なんだか泣けてくる」とか、
「この曲を聴くと失恋に打ち勝った喜びを感じる」とか、ありますか??

恋愛と音楽って密接な関わり合いがあるので、
特に女性は、恋愛ソングを聴いて感動して涙することが多いみたいですね。
それこそ、心の中の何かと呼応しているのだと思います。

ま、逆に悲しい気持ちになったり怒り心頭になったりすることもあるかもしれませんが、広い意味では、そういったのも感動の内ですよね。

単純に、癒されて感動するということ

以上のように、難しいことを考えてしまうのが私の癖ですが、
ここからはちょっとシンプルに考えてみましょう。

単純に、旋律の抑揚や雰囲気などが、自分自身の持つ感性(波)とうまく合わさったとき、ジ~ンと癒されて感動することもありますね。いや、これも心の何かと呼応しているという、先ほどのお話と同じようなことかもしれませんが(^^;)

・・・あぁ、やっぱシンプルには考えられないです、私。どうしても難しいことを考えてしまいます。

だから次に行きましょう!

感情移入や成りきりによる感動について

これも先述のお話につながっていくことかもしれませんが、
音楽を聴いて、その世界に自分の身を置くということで感動するということもあるでしょう。

例えば、ペルゴレージの「Stabat Mater」という曲では、
十字架にかけられたイエス・キリストを、母親(マリア)が悲しみにくれて眺めている様を表現しています。

そこで、実際に聴き手がその世界に引き込まれ、
刑に処されるキリストを見ている群衆に成りきったり、ずばり悲しみにくれるマリアそのものに成りきったり・・・といった感じになれば、その聴き手の心は酷く打ちひしがれ、涙することになります。

特に、過去に自分の子供を事故や事件で亡くした方だと、本当にマリアに成りきってしまい、しばらくそこから立ち上がれなくなることもあるかと思います。

これを感動と呼ぶかどうかは微妙ですが、同じような具合で、
音楽の世界に引き込まれて嬉しくなったり怒ったり・・・といった事が起こりうるのではないでしょうか。

さらにそこに音楽の旋律が、聴き手の感性とマッチすれば、なおのことその世界に引きずり込まれます。さらに、演奏者の演奏の仕方が聴き手の感性とマッチしていると、この上なく感動し、失神してしまうかもしれません(というのは大袈裟かな^^;)。

精神的に弱っているとき

ただ、日頃から精神的に病んでいる方の場合は、
色々な思いが巡って音楽に感動することがあるでしょう。

酔っている自分に感動

音楽を聴いて“感動しているつもりの自分”や“癒されているつもりの自分”を客観視することで、改めて感動して泣く人もいるかもしれません。「あぁ、自分ったら感動してるよ!・・・う、泣けてきた」ということです。

悪いことではないですが、感動の質としては、ちょっと心配なところがあります。
共感とか感情移入とかではなくて、自分自身を認めてあげたい!という気持ちからくる感動だからです。

それで心が安らいで、弱った精神が元に戻るなら良いですが、
逆に感動を通り越して惨めな気持ちになってしまうこともあるかもしれないので、ちょっと心配なのです。

音楽の使い道は、それも全然アリとは思います。アリなんですが、あなたの精神を弱らせている元凶を断たない限り、堂々巡りになってしまうような気もしないでもないですね。まあ、その元凶が一時的なものであれば良いのですが・・・。

あくまで、私の考えではそんな感じです。

音楽のような美しさに飢えている

現代は色々と殺伐とした世の中です。人の汚い面もあれば、あなたに不幸がふりかかってくることだって往々にしてあるでしょう。そのせいで、精神が弱ってしまうのも無理はありません。

そんな混沌とした世の中だからか、整った美しい音楽を聴くと、自分の心が潤ってきて涙が出ることがありますよね。人間は悪いものばかりに触れていると、絶対に心は枯渇してきます。美しいものにも触れないと、精神がどんどんと病んでいってしまいます。

だから、弱ったときは美しい音楽を聴いて感動するのでしょうね。
単純に美しい(あるいは自分にとっての理想である)からこそ、その世界を音楽によって疑似的に体験できるわけです。いや、音楽のみならず、美術だってアニメだって何だってイイでしょう♪

ただ、もし、あなたの精神を弱らせている元凶や、理想から遥か遠い現実が目の前にあるなら、美しい音楽を聴きながらも、それらをどうにか解決していく方法を講じなければ、先述したように堂々巡りで終わってしまい、下手をすれば惨めな気持ちになってしまうかもしれません。

まあ、それも「感動」というモノのうちのひとつの在り方かもしれませんが。

まとめ

以上のように考えていると、先ほどお話した、
音楽と呼応する“何か”の正体が、おぼろげながらに見えてきたような気がしますね。

でも、まだまだ何かはよく分かりません。
「感動するものは感動する」・・・ただこれだけの理屈で片付けてしまって良いと思います。

もし「最近感動していないな」という場合は、
それはそれで良いと思います。音楽を聴いて感動しなければならないことはありません。たまたま、あなた自身の心の何かと呼応する音楽に巡り会っていないだけなのですから♪

それに音楽ばかりが感動材料ではありません。
何だっていいんです!(^^)

お読みくださいまして、ありがとうございました。

 
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