音楽をやっていなかったら、今頃電車の運転士だったのかも

どうも!タラッタです。

私は音大と音大大学院をいずれも声楽専攻で卒業し、今は声楽講師をやったり公演に出演したりしながら過ごしています。しかし、ふと思うことがあるのです。この道を選んでいなかったら、何をしていたのだろう?と。

音楽の仲間の中には、「ほかの仕事をやっている自分なんて全く想像できない」「音楽以外に道はなかった」というように答える人もいましたが、私自身はそうでもなく、音楽をやっていない自分を容易に想像できるのです。

そう。タイトルにもある通り、私は電車の運転士をやっていたのでは?と思うのです。というのも、幼い頃より電車が好きで、小学時代は運転士になるのが夢でした。中学2年時の職場体験も、名鉄(名古屋鉄道)に行ったほどです。

にもかかわらず、私の運転士の夢を音楽の夢にすり替えた元凶はなんだったのでしょう?

というわけで、ここでは私の夢を変えた出来事や、思うことなど色々書いていこうと思います。「他人の話なんてつまんねーよ!」と言わずに、あたたかい目でお読みくださいね♪

私の夢を180度変えた、ショッキングな出来事

私は愛知県出身ですが、愛知県には名鉄電車(名古屋鉄道)が走っています。幼い頃から父親と電車に乗ってあちこちへ行き、本当に電車が好きで、高校時代も、電車通学できたことが何より嬉しかったです。

そんな名鉄には、愛知県出身の人なら誰もが知っている、某名車がありました。それこそ、パノラマカー7000系です。真っ赤な車体に二階運転台、展望車、そしてミュージックホーン(音楽警笛)に偉大なる存在感。

 この電車です

1961(昭和36)年に初登場して1975(昭和50)年まで増備が続いたこの電車こそ、多くの人々を魅了し、たくさんのファンをつくり上げてきました。

私もそのファンのひとりであったことは言うまでもなく、「電車の運転士になったら、絶対にパノラマカーを運転するぞ!」と心に決めていました。小学時代には、毎日のように、授業中ですらパノラマカーの絵を描いていました(←コラッ!)。

が、事件は起きたのです。

パノラマカーの全車廃車の発表

1998年、名鉄より「パノラマカーを10年以内に全廃する」との旨が発表されました。このとき、私はまだ小学生。そんなことが発表されていたことは何も知らず、パノラマカーは不滅なものだと思っていました。

で、その事実を知ったのが、その発表から数年以内だったと思います(まだ小学生)。父親と、豊橋のほうまでパノラマカーのお話を聴きに行ったときでした。「パノラマカー廃車へ」の言葉を聞き、私は衝撃を受けたのです。

それから少しずつパノラマカーは減っていきましたが、何しろ本数がたくさんあったため、一本減っても減った気がせず、全廃の日が本当に来るだなんて全く想像できませんでした。

けれども、「パノラマカーがまた一本旅立った」「廃車が加速してきている」などという情報を得るうちに、本当に無くなってしまうのが想像できるようになってしまいました。「この調子で消えていくのか」と。

「発表の10年以内というのが本当なら、2008年にはもういないのか。ということは、運転できないのか」と、私はひとりでにショックを受け、名鉄の運転士になる夢が揺らいできました。

でも、半分信じられなかった私は、わずかな希望に夢を託していました。つまり、中学生になってもまだ、名鉄の運転士になる夢は諦めきれていなかったのです。「パノラマカーが好きで、運転士になりたいと思い立ったのだ」と自分に言い聞かせていました。

だから、中学2年時の職場体験も、名鉄に行ったのです。

その頃パノラマカーは、仲間が減ってきているにもかかわらず、バリバリ現役でした。私は、「もしかしたら全廃の日が延長となり、僕はパノラマカーを運転できるかもしれない!」って思っていたときもあった気がします。

運転士を諦め、音楽の道に変更

ときは中学3年、高校の進路を真剣に考える頃です。高校のみならず、将来の夢に関しても、割と真剣に考えるようになりました。

まだまだ名鉄の運転士になる夢は持っていました。が、幼い頃からピアノを習っていた関係で、ピアニストになるのも悪くないと思うようになりました。そう思うに至ったきっかけは、やはり先述の “パノラマカー全廃への動き” にあるでしょう。

そして、夢の比重が音楽側に大きく傾いたのは、中3の卒業前。卒業式の練習のときに、音楽教師が全校生徒の前で歌の指導をしているのを見たときでした。なぜか、「音楽教師ってかっこいいなあ」と 思ったのです。「ピアノを弾いたり歌ったり、面白そうなお仕事だ」と。

そのとき、名鉄の運転士になる夢は風前の灯火のようになっていました。

それからというもの、高校に入ってからは音楽教師になる道を決めていました。ピアニストになりたくなったりした時期もありましたが、結局色々あって音楽教師への道は捨て、声楽専攻として音大を受験することに至りました。

高2のときには文系クラスと理系クラスを選ばなければなりませんでしたが、担任に「文系のほうが練習時間をとりやすい」と言われたので、文系を選びました。

ですが、私個人としては理系科目(特に数学)が好きだったので、もし名鉄の運転士になる夢をまだ抱いていたのなら、きっと理系クラスを選択していたと思います。

当時の私は、割と現実思考になっていて、「パノラマカーを運転できないなら、運転士になっても意味がない。運良く数年運転できても、廃車後はどうなる?きっと、意気消沈して、仕事に行く気すら無くなるかもしれない」と考えていました。

だから、ほぼ完全に運転士になる夢は消えていました。

まとめ そして・・・

パノラマカーが生きながらえていたり、運転士になりたいという動機がまた別のものであったなら、名鉄の運転士を目指して頑張り、今頃運転士になっていた可能性があります。

しかしパノラマカーは、2008年12月に予定通り定期運用を離脱。その後はイベント限定で走りましたが、2009年9月に完全引退しました。結果として、1998年の10年以内との発表より、若干長く走ってくれました。

が、2009年は私はまだ大学生でしたので、たとえわずかな希望にかけて運転士を目指していたとしても、もしかしたら、運転できた可能性はほぼ0に近かったと思います。パノラマカーの廃車は非常に残念で悲しみの大きいものでしたが、「これで良かったのだ」と胸を撫で下ろす自分もいました。

読んでいただいて分かった方もいらっしゃると思いますが、私には、まだ、名鉄への未練が残っています。今も、パノラマカーを偲びつつ、「もし運転士になっていたら・・・」と考えることがよくあります。

ただ、現実は現実。今も運転士の仕事に憧れを抱かないことは無いですが、パノラマカーが運転できないのは、やはりどうしようもないことなのです。

しかし!前に私の夢がちょっとだけ叶いました。パノラマカーは中京競馬場と舞木検査場に生態保存されることになって(保存が開始された時期は異なります)、そのお蔭で中京競馬場のパノラマカーの運転台に上ることができたのです!これまでに、たしか2回上りました。

当然運転はできませんが、運転席に座って、マスコンやブレーキをいじったり、ミュージックホーン(音楽警笛)を吹鳴したりすることができました。とても満足でした。

パノラマカーは完全に消えたと言われていますが、まだ少しだけ残っているのです。保存車両もそうですが、現役の車両にも、部分的にパノラマカーのポリシーが受け継がれていたりします。そして何より、いまだに多くの人々の心の中で、元気に走り回っていることでしょう。

パノラマカーを知らない子供も増えてきましたが、ずっと不滅の名車であり続けてほしいですね。私は、音楽という分野で、パノラマカーのようにミュージックホーン、いや、ミュージックボイスを鳴らしながら突っ走りたいと思います!^^

中京競馬場にあるパノラマステーション

中京競馬場にあるパノラマステーション(2012年9月撮影)

 
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