棒立ちの声楽家

どうも。タラッタです!

棒立ちで歌っている声楽家を、
目にしたことがあります。

(いや、本当は、
声楽家・・・というのは間違いで、
声楽を専攻とする人、
とでもいうべきでしょう。)

声楽家がステージで歌う際の、
一般的なスタイルは、
“伴奏を担うピアノの前に立って”
というものです。

こんな単純なスタイルなのに、
歌う人によって、
その場に見えてくる世界が
それぞれ違ってくるのです。

とても面白いことですよね。

でも、その「世界」すら、
まったく見えてこない演奏を、
私は聴いたことがあります。

誰、とはいいませんが、
大学の学内演奏会や
コンクールで聴いたので、
どのような人かは想像できると思います。

そうです。

まれに、
プロで活動している人にもいますが、
やはり、
熟練されていない声楽家に、
そういう人が多いイメージです。

私自身もそうかもしれないので、
偉そうなことはいえませんが、
自分なりに考えてみました。

なぜ「世界」が見えてこないのか?

それは、
棒立ちで歌っているからだと思うのです。

声は良くても、
ただ棒のように立ち尽くし、
表情もこわばっている状態です。

緊張のせいもあると思いますが、
そのせいというよりは、
音楽作品自体が持つ世界を、
存分に味わわずに歌っているのです。

味わっていなければ、
表現のしようがない
(あるいは表面上だけの表現)
ので、
見た目としても、
やはり棒立ちにしか見えないのです。

技術(発声)が多少煩雑でも、
中身を味わって表現しようとする人は、
棒立ちには見えません。
世界を創ろうとしているのが見えてきます。

ただ、そこにさらに技術力があれば、
歌い手の表現は正確に聴き手の心に伝わり、
好き嫌いはあれど、
その世界観に入り浸ることができます。
包み込まれ、
その世界に同化できるということです。

音楽を味わうというのは、
作品の持つ真実、作詞・作曲者の心を
存分に汲み取ることです。
そして、
歌い手の心をもそこに寄生させ、
技術を使って聴き手に届けることなのです!

 
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