日本語の母音は5つだけではないはず

こんにちは。タラッタです。

今日は、
日本語(標準語)の母音についてのお話です。
前回とはテーマが全然違い、すみません。
思い付きで書いたりしますので(^^;)

さて、
日本語といえば、
小学校の教室に貼ってあるひらがな表には、
5つの母音がありますね。
「あいうえお」の5つです。

外国語には様々な母音があったりしますが、
私たちの日本語には、
母音が5つしかありません。

 ↑ ↑ ↑
ちょっとストップ!!
疑問に感じませんか?

本当に5つだけでしょうか?

まあ、普通の生活をしていれば、
こんなこと気にもしないと思いますが、
私のように声楽をやっていると、
こういう問題には無頓着ではいられないのです。

歌を歌うときは、
何も考えずサラサラ流して歌う
という無神経な行為はありえません。

日本歌曲を歌うとき、
日本語の妙味を考えながら歌います。
母音や子音の取り扱いに注意し、
聴き手にとって一番自然にきこえるのは…
と、客観的に考えます。

そうしたら、ある日、
タイトルのような理屈に行き着いたのです。

「日本語の母音は5つだけではない。
もっとあるはずだ。」

例えば、[う]。

「しらす」の「す」にある[う]と、
「鐘が鳴る」の「る」にある[う]とでは、
響きの深さが違います。
前者は浅く平べったい感じですが、
後者は少し深くなります。
(でも、この規則性は不明なのです・・・。)

 ↑ ↑ ↑
話し癖のある人は違うかもしれませんが、
声楽や朗読においては、
特に悪癖を最小限にとどめるべきです。

一方、
「くち」の「く」のように、
[う]の母音が消えて
無声音になる場合もあります。
つまり、子音のkしか発音しません。

この現象は、
語中のみならず語尾にも見られます。
「~です」の「す」は、
同じく子音sのみの無声音となります。
でもこれはsuでも可となっています。

(無声音に関しては、
日本語の標準語アクセント辞典に
載っているはずです。)

また、
現代語では同じ母音で書いても、
古語に直したときに違ってくるものは、
母音の質が異なります。

…といっても難しいので、
例を挙げますと、
「恋」の[い]と、「そこにいる」の[い]。

「恋」は「こい」ですが、
古語では「こひ」になります。
「そこにいる」の「いる」は、
古語では「ゐる」になります。

見ての通り、
「ひ」と「ゐ」は、
別の文字というのは分かります。
でも、発音は同じですよね。

ところが、元来は違っていました。
「ひ」はハ行、「ゐ」はワ行の発音を
していたらしいのです。

現代においては、
[い]に統一されていますが、
「こい」の「い」は「ひ」を言うように、
「いる」の「い」は「ゐ」を言うように、
元来の妙味を意識しながら
「い」と発音すると、
言葉本来のエナジーが発揮され、
より自然になると思います。

(実は、「い」と「ゐ」も、
現代では[い]に統一されていますが、
元来は発音が異なります。
「い」はア行、すなわち母音ですが、
「ゐ」はワ行、子音+母音です。)

現代でも、話し言葉には、
そういった古語的な妙味が
含有されていると感じます。
まあ、やりすぎは
現代語としてはふさわしくないので、
母音の質感を変える
という程度の話となります。

歌うときには、
ひとつの言葉を発音する時間が長いので、
さらに意識する必要があります。
しかし、音の動き方によっては、
無声音が有声音になったり
という現象が生じたりもします。
一筋縄ではいかなくなるのです。

ところで、
書き言葉と話し言葉は全くの別物です。
近代、“言文一致”になりましたが、
見方によれば、これは改悪なのです。
もっとも、
書くのが楽になって嬉しいのですが 笑

ただ、学校が、
ひらがな表にある5つの母音を、
5通りしか発音がない前提で
児童に教えているなら、
それはわざわざ不自然な日本語を
教えていることになります。
生きた日本語とは違うものです。
だからといって、
私にはどうすることもできませんが…。

細かいことを言い出すと
枚挙に暇がないので、
ここらでやめておきます。

駄文で失礼いたしました。

 
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