文系と理系、そして音楽

どうも~(*^o^*)タラッタです。

今日は、文系と理系の話を、
音楽を絡めてお話ししたいと思います。

ここでいう文系というのは、
感情や情緒の理解に長け、論理的な思考や分析が苦手な系統を指し、
理系というのは、
その逆を指すこととします。(あくまで今回のブログに限った定義です☆)

よく、得意科目が国語だから文系!
って決めつけてしまう人がいますが、
もしデータとして論理的に文章を読み解く人なら、
ここでは理系と判断します、好き嫌いは別として。
(まあ、高校や大学の文理選択では好き嫌いが重要なものではありますが)。

はっきり申しますと、
文理を分け隔てることは好ましいことではないと、
近頃つくづく感じています。

語弊がないよう加筆しますが、
文理選択がまずいのではなく、
自己の中で決めつけてしまうのがいけない。

例えば、
数学は苦手だ と決めつけてそのままにしてしまうと、
理系の世界から目を背くことに繋がります。
すると、偏った思考を持つ文系バカになりかねません。

己の苦手を知るのは大切ですが、
いつまでも苦手苦手と固執しないことが大事だと思います。

私としては、文理の区別はあまり好きではありません。
以下、その理由を挙げます。

私は音楽(声楽)をやっていますが、
心理・感性から音楽理論や歴史、
解剖学、はたまた哲学や宗教、
そして神秘までに至る様々な要素を追究する音楽では、
文系理系の差が歴然と見られます。

声楽に限り、極端な例を出しましょう。

偏った文系の人は、
楽譜から音を読み取るよりも、
CD等の音源やプロの演奏を見聴きして歌おうとします。

つまり、真似から入り、
それを自分の中で消化して自分の歌にしていきます。
歌い方が、楽譜から逸脱していることも稀ではありません。

不可解なことに対しては、
勘や霊性を過信します。

曲の内容を汲み取る際は、
歌ったり歌詞を朗読したときの感覚で読み取ろうとします。
もちろん自分の感性を杓子定規にして。

一方、偏った理系の人は(声楽家の中にはあまりいませんが)、
楽譜から情報を正確に読み取り、
史実に基づいて忠実に歌おうとします。

つまり、客観的に解釈し、
(慣例的でなくても)正しいやり方を貫き、
そこで初めて、許されるだけの私欲を交えた歌に「作り」上げます。

不可解なことも、
データに基づいて解明しようとします。

曲の内容を汲み取る際は、
もちろん楽譜上の音の書き方や歴史を参考にして、
事実から目を背けず、
論理的に答えなりそれに近いものを導き出します。

さて、上の両者を比較して、
あなたはどう思われたでしょうか?

前者はなんだか自己中心的、
後者は冷たい。
そんな印象を受けませんか?

どう感じるかは人それぞれなので、
こう思うべき!という答えはありませんが、
なんだかどちらも変だな~と思うのが、
まあ、一般的(平均的)な感想でしょう。

100%感情的に歌ってしまっては、
聴き手は疎外感を覚え、ストレスになります。
「何 あのバカ」という感想を抱かれかねません。
よほどユニークであるなら話は別ですが。

逆に理路整然と歌ってしまっても、
音楽は生きず、聴き手との一体感も生まれません。
「ロボットみたい」と思われてしまいます。
まあ、曲によってはそれが一番相応しいこともありますが。

もちろん、
演奏会の意図なり演奏家のモットーなりも関係しているので、
一概にこれはよしあれはあしと決断することはできません。

しかし、偏った演奏しかしない人は、
その演奏だけしかできません。

果たして、それでいいのか?と考えると、
偶然が重なって宝くじが当たるようなことが起きない限り、
世の中のニーズに対応できなくなるような気がします。

だから、なるべく若いうちから、
文理のバランスよく、
バラエティに富んだバランスの良い能力を養っていきたいものです。
これは、今の私の課題でもあります。
要は、柔軟性を持つということです。

そのほうが、
個人の魅力や豊かな表現が備わっていて、なおかつ、
安定と説得力のある歌が歌えるようになるのではないでしょうか。

なにも声楽に限らず、
あらゆる分野で、文理融合の人が尊重されるべきだと思います。
政治家だからとて、熱情だけで国を動かしてはいけないし、
医者だからとて、データばかりに気を取られていてはいけない。
私はそう思っていますが、いかがでしょうか?

若造が偉そうに!!と思った方もいらっしゃると思うので(笑)、
最後に一言「失礼いたしました」と謝りますが、
上述の話を、少しでも参考にしていただける人がいらっしゃれば、
とても嬉しく思いますo(^ω^)o

 
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