冗談でも「死ね」という言葉を使うな!と最近特に強く思う

死ねという言葉

どうも!タラッタです。

とある人のブログ記事の「保育園落ちた日本死ね」が突如話題になり、いまだにその火は収まることを知りません。

私は田舎育ちです。かつて母は専業主婦(と言いますか 姑の農作業の手伝いで給料無し)でしたが、私は保育園に通うことができました。ほかにも同じような境遇にあるお母さんたちはけっこうおった。それでも子供たちは保育園に通えました。嫁は姑に付き従うのが当たり前の風潮(今も割と根強く残っとる!)だったからでしょうかね。

だで、今話題の「保育園落ちた」は、私からしたら信じがたいお話。現代(それも都会)では事情がずいぶん違うんですね。田舎者ですみません。

さて、今回したいのは保育や政治のお話ではありません。私が注目したいのは、「死ね」という言葉についてです。「発言の本意から背いて揚げ足をとる」と言われるかもしれんけど、それを承知の上で述べていきたいと思います。職業柄、取り上げずにはおれんくて^^;

「死ね」は禁句!たとえ冗談でも

私は「死ね」という言葉が嫌いです。綺麗事かと思われるかも分からんけど、嫌いは嫌い。口にしたくないし聞きたくもないんです。

その理由はよく分かりません。でも、死というものを簡単に口にすることが許せないんです。たとえ冗談でも不快になります。

昔、父方の祖父や親戚の葬式に参列したことがあります。まだ幼くて、死というものをあまり理解できてないときでした。眠ったまま動かない姿を見、なんで目を開けずに ただ黙ーって仰向けになっとれるのか不思議でたまりませんでした。

それとこれも印象強いです。眠った人をエレベーターのようなところに入れてから、自分たちは親戚と別の場所に移動。時間が経ってからエレベーターのようなところの扉の前に戻ると、なんだか変な臭いがして暑い。さっきとは明らかに様子が違う。そこでその扉が開きました。出てきたはボロボロの骨や灰でした。

私はそこで初めて火葬というものを理解しました。エレベーターのようなところとは火葬炉のこと。今でも、エレベーターを見ると火葬炉が頭に浮かびます。

死というものを幼いながらに知り、怖くなりました。幾度となく「死んだらどうなるんだろう」とも考えたし、「燃やされたくない」とも考えました。親に「死んで燃やされるとき、水をかけて助けてね」とも言った覚えがあります。死というものはとにかく怖く、悲しいもの。そしてとても重いものです。

高校生のときは、母方の祖父が急死しました。そしてついこのあいだには父方の祖母(母から見て姑)が突然亡くなり、3.11に葬儀・告別式がありました。黙祷の時刻はちょうど火葬の真っ最中でした。

その経験でも、死への考え方が深まりました。ネット上ではちょうどタイムリーで「日本死ね」が話題になっとって、私はとても不快感を感じました。書いた本人も嘆きの言葉を発したに過ぎない。それは私も “ 頭では ” 分かっとる。でもそれ以前に、なんだかとても厚くて高い壁を感じちゃって、生理的に受け付けない言葉だなあと思いました。

前々から「死ね」「殺す」という言葉は好きではなかったですが、今は前よりも嫌いです。たとえ冗談であれ、また生き物ではないものに対しての発言だとしても、そのワードを軽々しく使われると不快な思いをします。私なら、簡単には口にできません。

むろん、ちょっと思い通りにいかなかったからといって「死ね」と言うのは言語道断。口癖になっとるんなら、そりゃ最悪だわな。いくら悪気がなくても、言っちゃいかんと思いますわ。

本気の「死ね」ならまだ良いと思う

本当に恨みがあって、心の底から「死んでほしい」と思うのではあれば、まだ「死ね」という言葉を使っても良い気がします。

ただ、本当に「死ね」と思うことなんて、平和な生活ではまずありえないと思うんです。本気で思いたくなるのは、家族を殺されたとか、人生をめちゃくちゃにされたとか、というときくらいしか無いのではないでしょうか。また、人の死を楽しんでしまう人なら、割と簡単に本気で「死ね」と思ってしまうかもしれませんね。

また保育園の例だと、明らかに殺意や死亡願望はないはずです。そもそも相手は人間ではなしに日本。感情のまま発した言葉とは思いますが、そうであれば軽すぎる気がします。逆に本気で言っとったんなら、日本が死んだら自分も死ぬ(あるいは他国に出てかねばならん)ことを理解しとらんことになる。それに死んでほしいと思うさしたる理由は何?とも思う。

すなわち、「日本死ね」はやっぱりおかしいんです。ま、「 “ 今の良くない日本が ” 死んで再生しろ」という意味ならまだちょっと分かりますが……、言葉遣いに不快感を感じるのには違いないですね。心で思っても、ネットで発言する以上はほかの言い回しを考えたほうが良い、と私は思いました。

最後に

今回は「死ね」という言葉への私の考えを簡単に述べてみました。

聞きたくなくても(見たくなくても)、「死ね」「死ねばいいのに」「氏ね」「タヒね」「殺す」という言葉を聞いたり見たりしちゃいます。そのうち慣れるかな?とも思ったりもしましたが、全く慣れませんね。ま、耳にした暁にはスルーしとるつもりですが、それでも傷付きはします。

軽々しく口にできる人は、幼い頃にも口にしとったんでしょうか?死について深く考えたことがないんでしょうか?冗談であっても、傷付いたり不快に思ったりする人がおるのを知らんのでしょうか?知っててあえて使っとるんでしょうか?

「死ね よりも 馬鹿 と言われるほうが傷付く」と言う人も身近におりますが、私は共感できません。でも、そういう考え方の人のことも理解すべきとは思います。価値観は違って当たり前だでね。

ただやはり、「死ね」という言葉は生理的に重く感じずにはいられない一語。軽く使われとるのを見ると、悲しい気持ちになります。私は、「~ですしね」という語尾でさえ、その響きが気になってしまうほどです(まあ当然意味が違うんでたまに使いますけど)。

暗いお話ですみませんでした。何かしらの参考になれば・・・。

 
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