Son nata a lagrimar は、戦争の特攻を彷彿とさせる

どうも、タラッタです。

G.F.ヘンデルのオペラ『Giulio Cesare in Egitto(ジュリアス・シーザー)』に出てくる二重唱アリア「Son nata a lagrimar (涙するために生まれ)」をご存知ですか?コルネリアとその息子が歌う曲で、ヘンデルの最高レベルの作品だと言われています。

まあ、このオペラはとにかく長い!あらすじや概要に関しては以下のサイトに載っているので、興味があればご覧くださいませ。

⇒ オペラ御殿

Son nata a lagrimar と 特攻

Son nata/o a lagrimar/sospirar,
e il dolce mio conforto,
ah, sempre piangero.
Se il fato ci tradi,
sereno e lieto di
mai piu sperar potro.

泣くために/嘆くために 生まれてきた
私は愛しい心の支えに
ずっと涙を流し続けるでしょう
もし運命が私達を裏切ったら
穏やかで幸せな日々を望むことは
もうできないでしょう

引用元:オペラ対訳プロジェクト

(ヘンデルファンやクラシックファンに怒られるかな・・・。でも、書いちゃいます!)

昨日、この二重唱アリアを聴いていて、私は思わず胸が詰まりました。まあ、母親と息子が引き裂かれてしまう悲しい曲なので当然なのですが、対訳を読みながら聴いて、私は特攻を思い出したのですね。

特攻とは、そう、日本が戦争をしていたときの最後の作戦「神風(しんぷう)特別攻撃隊」のことです。「お国のため」「日本の未来のため」と言って、多くの若者が飛行機を操縦し、人間爆弾となって敵艦に突っ込んで亡くなりました。

その多くの若者が、出撃時には勇ましく振る舞っていたそうですが、心の中では、やはり母親や家族、故郷とのお別れがつらかったはずです。だけど国のためだから、涙も見せずに戦わなければならなかった。そんなおかしな時代があったのです。

それを、「Son nata a lagrimar」を聴いて思い出しました。母親と息子が引き裂かれる。国も時代も状況も背景も違えど、特攻隊員の気持ちとその母親の気持ちも同じだったはずです。母親と息子は、強引な力によって引き裂かれてしまう。非常に酷(むご)いです。

こう思ったのも、この情勢だからか

以前に「Son nata a lagrimar」を聴いたときは、特攻のことなんて全く思いもしませんでした。むしろ、歌詞の内容に踏み込んで聴かず、声のテクニカルな部分ばかり聴いて、曲を味わう余裕がありませんでした。

(ほかの曲でもそういう傾向にありました。いつだったか「それではいけない!」と思い、曲を素直に聴いて味わおうと考えるようになりました。)

そして今。日本が何やら滅茶苦茶になりかけている時代。戦後70年ということもあり、戦争に対する意識が国レベルで高まってきています。私も平和を訴えかける公演で特攻隊役で出演しましたし、今月には同類の公演を観に行ったりしました。8月15日のNHKスペシャルではカラー加工した戦争映像の特集が組まれていましたが、親戚の家で観ました。

そんな感じで、私は(きっと皆さんも)平和への関心が高まっています。そういった状況のもとで聴いた「Son nata a lagrimar」は、いつものヘンデルの「Son nata a lagrimar」とは違ったものだったわけです。

「Son nata a lagrimar」に限った話ではありません。他のストーリーなどでも、何かと戦争を彷彿とさせられます。そして「いつまでも平和であってほしい」と、私は願ってやみません。

普通ではなくなっている

何か作品を観聴きして戦争を彷彿とさせられるなんて、普通でない気がします。本来ならば、戦争のことなんて微塵も思いたくもない。しかし、今の情勢がこうであれば、考えたくなくても考えてしまうのです。

平和については考えねばならないと思いますが、変に洗脳されている気もして、私は少し恐怖感を感じています。本来はもっと純粋に作品を楽しみたい。けれども、別の思考が邪魔をする。というわけです。

「Son nata a lagrimar」の場合は、素直に母親と息子が離れ離れになるのを悲しめば良いはずです。もしこのオペラを観にったのであれば、その作品の中の舞台や情勢に完全にわが身を任せ、それを前提に曲に引き込まれて感動を覚えたいわけです(あくまで私の望みです)。

ところが、なぜかしら日本のかつての特攻と結びついてしまった・・・。これはあまり良からぬことかもしれません。

ただ一方で、新たな発見もありました。何かを鑑賞するときは、その人自身の脳内の思考が大きく反映されるということに、改めて気付いたのです。今回私は、「戦争」「平和」「特攻」といったフィルターを通して「Son nata a lagrimar」を聴いた。そういうことです。

だからもし、私が今恋の病に陥っていたりしたら、その淡ピンクのフィルターを通して「Son nata a lagrimar」を聴き、また違った感想が頭に浮かんでいたかもしれません。もし私が遠く故郷を離れて二度と帰って来ない立場だったら、なおのこと泣き崩れて母親に抱き付いていたかもしれません。

まあ、あくまで“例えば”のお話ですけどね。

そう思うと、やっぱり作品というのは、今ある自分の心でそのまんま聴けば良いんだ!と思えますね。先ほど「別の思考が邪魔をする」とか「あまり良からぬこと」とかああだこうだ書きましたけど、結局、それで良いんですね!

はい、ちょっとごちゃごちゃしてきたので自己完結しました(笑)

最後に

今回は、「Son nata a lagrimar」を聴いて特攻を思い出したよーというお話でした。まあ、そういった音楽の味わい方も、あってもいいよね!というか、こんなこと、どうしようもないんですから。思ったままが、聴いた感想なんです。答えは無いでしょう。

そういえば、小学校とかの音楽の時間で何か音楽を聴いて感想を書かされましたよね。あのとき、正直に書いたらあまり良い点数くれなかった、という経験はないですか?

もちろん、「曲の解釈を交えて感想を書きなさい」だったら分かりますが、特に何も指定されず、ただただ自由に書くだけだったら、正解も不正解もないと思うんですけどね~。

私は、う~ん…高校で たしかストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴いたときだったかな。感想欄に「訳が分からない云々かんぬん…」と書いたら先生から高評価もらえました(笑) だって本当に訳が分からなかったんですもん。無理してかっこいいこと書いたって、所詮は嘘なんです。

 
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