唱歌「我は海の子」の現代語訳と簡単な解釈

どうも!タラッタです。

今回は、時代錯誤も甚だしい唱歌「我は海の子」の現代語訳(口語訳)と文法等について見ていくことにしましょう。とは言っても、明治以降の歌詞(国語で言えば現代語に属すもの)に対して現代語訳っていうのは少し滑稽ですが、まあ、小難しいツッコミはなしでお願いしますね。

直訳(ところどころ意訳)して内容を見ていこう!

それでは、早速、一節から七節まで順に、なるべく直訳(ところどころ意訳)をしていきたいと思います。なお、私は声楽家であり国語学者ではありません(とは言っても、一応塾講師の経験あり♪)し、私なりの独自解釈も入り混じっていますが、是非参考になさってみてください。

第一節

我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ。

↓↓↓

私は海の寵児である 白波が
音を立てる磯のほとりの松原に
煙がたなびくとまやこそ
私の慕わしい住まいなのである。

「海の子」とありますが、この歌としては少年ではなく青年の意気を歌っています。「とまやこそ~すみかなれ」のところには、“こそ+已然形”の係り結びの法則が見られます。強調の表現です。「なれ」という響きに惑わされて、命令形としてとってはいけません(断定の助動詞「なり」の已然形です)。「白浪の」は次の「さわぐ」につながり、「松原に」は「煙たなびく」を修飾していると思われます。「とまや(苫屋)」とは、漁師などの粗末な家のことを表します(謙遜の意味も含んでそう言っているのかもしれませんね)。

第二節

生まれてしほに浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を
吸ひてわらべとなりにけり。

↓↓↓

生まれて以来海の水を浴びて
波を子守歌として聞き
はるか遠くより寄せて来る海の空気を
吸って男子となった。

「しほ」は漢字で「潮」。海の国である日本だからこその詩ですね。海水浴の意味もありますが、純粋に、日本人として生まれ育ったと考えると自然でしょう。また、一里が約4kmなので、千里というのは約4000km。距離にして、東京からマレーシアの北東端くらい。日本だと東京⇔大阪(約400km)を5往復くらいですね。まあ、ここでは「はるか遠く」と意訳しておきましょう。

第三節

高く鼻つくいその香に
不斷の花のかをりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき樂と我は聞く。

↓↓↓

ツンと鼻をつく磯の香りに
絶えることのない花の香りを感じる。
波の打ちぎわの松に吹く風を
非常に素晴らしい音楽として私は聞く。

ここでは白い波を花にたとえて、磯の香りを「花のかをり」として感じています。なんとも格調高い節ですね。不断草というのがありますが、「不斷の花」はその意味ではありません。それから、ポイントは「いみじき」(終止形「いみじ」)をどう捉えるかです。「いみじ」には悪い意味と良い意味がありますが、どちらも程度の甚だしさを表します。ここでは良いほうの意味でとるべきでしょう。

第四節

丈餘のろかい操りて
行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底
遊びなれたる庭廣し。

↓↓↓

一丈あまりの櫓櫂を操縦して
行く先が定まることのない船旅
(その波の下の)広大なる海の底
遊び慣れた庭は広い。

「丈餘(じょうよ)」というのは、一丈(約3m)を超えているという意味です。それから、「浪まくら」がなかなかのクセモノ。船旅として訳すことで意味が通りますが、庭のように広い海底は、あくまで波の下にあるのであって、決して海底探検をしているわけではないでしょう。まあ、それはそれで面白いですが(笑) 「百尋」「千尋」の広さですが、一尋が約1.818mなので、あとは100や1000をかければ良い・・・のですが、それをすると意外にも狭すぎだし、詩としてもナンセンス。ここでは、とにかく広いという意味でとるのがふさわしい気がします。

第五節

幾年こゝにきたへたる
鐵より堅きかひなあり。
吹く鹽風に黑みたる
はだは赤銅さながらに。

↓↓↓

何年もここに鍛えてきた
鉄よりも堅い腕がある。
吹く潮風によって黒くなった
肌は赤銅のようである。

「きたへたる」の「たる」は完了の助動詞ですが、存続の意味も込められているので、過去から現在にかけて鍛えてきたということになります。「赤銅」とは合金のことですが、十分に焼けた黒い肌をたとえる際に使われることが多々あります。日本の男子らしさがありありとした節ですね。

第六節

浪にたゞよう氷山も
来らば来れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも
起らば起れ驚かじ。

↓↓↓

波に浮かび来る氷山も
来るなら来てみろ恐れはしない。
海をまき上げるたつまきも
起こるなら起これ驚きはしない。

「恐れんや」は反語的表現なので、「恐れようか、いや恐れることはない」と訳すとより分かりやすいかもしれませんね。反語は、より強く主張したいときに用いる表現方法です。「驚かじ」の「じ」は打消し意志の助動詞なので、普通の打消しの助動詞「ず」よりも遥かに主観的です。なお、「氷山」は北海の氷山、「たつまき」は南洋のような暖かい海の竜巻を指しています。要はこの節には、海の国の男子として、どこへ行こうとも何が起きようとも動じないといった意味が込められている気がします。いやはや、ここまでくると、軍事色が強まりを見せてきますね。

第七節

いで大船を乘出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて
我は護らん海の國。 

↓↓↓

さあ大きな船に乗って出発し
私は拾おう海の富を。
さあ軍艦に搭乗して
私は護ろう海の国を。

軍事色の強い歌詞ですね。「いで」というのは「さあ」といった意味でとると良いでしょう。思い立って行動する様を表します。「拾わん」と「護らん」の「ん」は、それぞれ意志の助動詞「む」のこと。口をつむってMのように発音します。Nのように発音してしまうと、否定の「ぬ」が撥音化した「ん」になってしまうので要注意(現代人は区別がほとんどつきませんが、こういう繊細なところまで気を遣ってこそ、歌は生きてくるでしょう)

作詞者は誰?

「我は海の子」の作詞者は、長らく不明とされてきました。しかし1989年に、宮原晃一郎の長女により、宮原が作詞者だとする論が唱えられました。宮原は、以前に「海の子」という詩を文部省に応募しており、それが佳作入選となっていました。長女は、その証拠として佳作入選通知を公表し、自分の父を作詞者と弁明しようとしたのです。

ところが、ここで芳賀矢一の遺族が敵対します。芳賀は文部省唱歌編纂委員でした。つまり遺族はこう主張したのです。芳賀が宮原の「海の子」を教科書に掲載する際に、必要に応じて「我は海の子」に改作したのだから、宮原の作とするのは不当だ・・・と。さらに生前の芳賀は、「我は海の子」が自作であることを家族に話していたそうです。

結論として、作詞者はハッキリしていないのです。でも、日本の歌の権威である藍川由美女史は、宮原説を支持されているようです。というのも、やはり証拠たる入選通知(と著作権譲渡要請の封書)が存在しているからです。

宮原は1945年没、芳賀は1927年没なので、いずれにせよ歌詞の著作権は消滅しています。ちなみに、作曲者に関しては不明です。

そもそも、文部省唱歌というのは合議制で作詞・作曲されているため、作者を特定することは困難を極めます。いや、不可能といっても過言ではありません。そんな中でも、たびたび作者が明らかになったといったニュースが流れたこともあるようで・・・。それでも100%正しいとは限りませんが、少しでも謎が解けてくると、曲に対してより愛着が湧くような気がするのは、私だけでしょうか?^^

最後に

今回は、少し難解な「我は海の子」の現代語訳と簡単な解釈、そして作詞者についてのお話をお伝えしましたが、いかがでしたか?

もう一度念のために書いておくと、私は声楽が専門であり国語学者ではないので、もしかしたら誤りがあるかもしれません。鵜呑みにせず、是非ご自分でも図書館等でお調べになることをおすすめいたします。ネットよりもアナログ世界のほうが価値ある情報が多いと思います♪

最後に、現代語訳を全て掲載します。

私は海の寵児である 白波が
音を立てる磯のほとりの松原に
煙がたなびくとまやこそ
私の慕わしい住まいなのである。

生まれて以来海の水を浴びて
波を子守歌として聞き
はるか遠くより寄せて来る海の空気を
吸って男子となった。

ツンと鼻をつく磯の香りに
絶えることのない花の香りを感じる。
波の打ちぎわの松に吹く風を
非常に素晴らしい音楽として私は聞く。

一丈あまりの櫓櫂を操縦して
行く先が定まることのない船旅
(その波の下の)広大なる海の底
遊び慣れた庭は広い。

何年もここに鍛えてきた
鉄よりも堅い腕がある。
吹く潮風によって黒くなった
肌は赤銅のようである。

波に浮かび来る氷山も
来るなら来てみろ恐れはしない。
海をまき上げるたつまきも
起こるなら起これ驚きはしない。

さあ大きな船に乗って出発し
私は拾おう海の富を。
さあ軍艦に搭乗して
私は護ろう海の国を。

また機会があれば、別の歌についても同じように訳していきたいと思います!

参考文献:藍川由美『日本の唱歌【決定版】』(音楽之友社) ※
※ ここに『尋常小学唱歌 伴奏楽譜 歌詞評釈 第六学年用』中の福井直秋による歌詞評釈及び語句註解の引用を含む

 
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