絶対音感の習得の訓練は不必要!むしろ弊害にも

どうも、タラッタです!
今回は、絶対音感について、思うことをタラタラとお話ししていこうと思います。

さて、絶対音感といえば、何の音かを瞬時に判別できる特殊な能力のこと!というのは、皆さんご存知でしょう。手をパンっと叩いたときの音や電車のガタゴト音まで、どの音であっても音名を当てられる、素晴らしい能力です。

実際に絶対音感を持っている人はチヤホヤされ、本人も自慢げに「私は絶対音感あるよ」とアピールしたがる傾向にあります。絶対音感は、幼い頃からそれなりの音感教育を受けないと身につかないと言われているのも、絶対音感の神格化に拍車をかけていることでしょう。

しかし、私は思います。絶対音感なんて必要ないと。むしろ弊害にすらなりうると。

そんなことを言うと、絶対音感信者からは「何を言う!こんなに素晴らしい能力があるんだぞ。お前にマネできるか??」と言われそうです。はい、私は絶対音感を持っていないのでムリです。いや、そもそもそんな能力は無くて良かったと考えています。

絶対音感とは?そして不必要であるという理由

いきなり小難しいお話になりますが、前置きなので、少しご辛抱くださればと思います。

(絶対音感という言葉の定義すら実は曖昧ですが)「この音はラだ!」というように当てることのできる人は、無意識のうちに、ラ の音に周波数440Hz(あるいは442Hz)という基準を当てはめているはずです。(以下、ラを英語音名Aとして表記します。)

それはどういうことかというと、以下のとおりです。

音楽教育ではピアノを用いて音感教育が行われていますが、ピアノの調律をする際、ピアノの真ん中のAに該当する音を440Hzや442Hz(最近は後者が多い)の周波数としてチューニングしていくことが、現代では主流です。つまり現代の音感教育を受けた人は、脳裏に焼かれたその周波数を前提としつつ、音を判別することになるのです。

【参考】A=440Hzのハ長調音階・主和音
A=442Hzで教育を受けた絶対音感者には低く聞こえて違和感があるかもしれません。

 

【参考】A=442Hzのハ長調音階・主和音
A=440Hzで教育を受けた絶対音感者には高く聞こえて違和感があるかもしれません。

 

一方バロック時代では、バロックピッチといってA=415Hzでチューニングすることが主流でした。だいたい現代より半音くらい低いピッチです(つまり、AはほぼA♭として聞こえるのです)。さらに、西洋音楽以外の音楽では当然チューニングが異なり、A=○Hzといった概念すらないこともあるでしょう。

【参考】A=415Hzのハ長調音階・主和音
絶対音感者のみならず、ほとんどの人が低いと感じるはずです。

 

・・・さて、この時点でなにやらおかしな点が浮上していますね。お気づきでしょうか?

絶対音感を持ってると不自由だろう!

絶対音感の持ち主は、日常のあらゆる音に音名を当てることができます。

その音名というのは、ドとかレとかラとかファ#とかです。そしてピッチはA=440Hzあるいは442Hzを基準にしているはずです。幼い頃の音感教育によって脳に刷り込まれたピッチと音を基準に、絶対的に音を判別しているというわけです。

じゃあ、現代のピッチとかけ離れた音楽があったらどうなるのでしょう?例えば、バロックピッチ(A=415Hz)を考えてみましょう。

先ほども申したように、A=415Hzというのは現代のピッチよりも半音ほど低いです。ということは、大雑把に考えると、D(レ)の音がD♭になるわけです。

じゃあ、絶対音感の持ち主は、その半音ほど低いDの音を聴いて何と言うのでしょう。おそらく「これはD♭かな」(または「D♭に近い音だね」)と言うはずです。いやいやいや、バロックピッチなので本当はDなんすよ、それ!

・・・と、まあなんとも皮肉な現象が起こるわけです(笑)

 ※お詫び:DとD♭を逆に書いてしまっていたので修正しておきました。失礼いたしました。

バロックピッチだけではありません。日本音楽の旋律だって、西洋のそれとは微妙に異なります。そうです。絶対音感って言ったって、その「絶対」というのは、あくまでその人の中での絶対です。

A=440Hzで西洋音楽の音感教育を受けてきた絶対音感の持ち主がいるなら、その人にとっては、それ以外のピッチによる音、音程、そして音楽というのが規格外になってしまうわけです。そうなれば、本人にとっては不快以外の何物でもないわけです。

ライターの最相葉月氏が著した『絶対音感』の中には、ヴァイオリニストの五嶋みどりさん(絶対音感の持ち主)に関して、次のような興味深いお話があります。

A=440ヘルツの調律でしか音楽を聴かせず、完璧な「絶対音感」を身につけさせようとしたあまりに、442ヘルツで調律したオーケストラの中で演奏すると違和感を感じるようになってしまった

これが良い例だと思います。もし442で教育を受けてきたならば440に違和感を抱いていたでしょうし、いずれにしても、バロックピッチ415での公演を開くことになったら、反吐が出るような思いをすることにもなりかねないのです。

絶対音感者万歳!と崇め奉り申し上げられますが、実は不自由なものなのです。たしかに、ある条件(現代ではたいてい西洋音楽におけるA=440Hzか442Hz)においては素晴らしい能力なのでしょうが、所詮はそれまでなのです。

気持ち悪いだけじゃない!可能性が狭まることも

絶対音感を持つ人にとって、音は絶対的であるはずです。そのため、ちょっとのズレが不快になります。つまり、例えば日本の旋律なんか聴かされたら、気持ち悪くて仕方がないはずなんです。

そうであれば、生理的に不快感をもたらす音楽に対して嫌悪感を抱いたりすることも多くなるでしょう。もちろん、中には「絶対音感があるけど、別にズレていても平気!」っていう人もいるでしょうが、多くはそうでないと思います。

だから、幼い頃からA=440Hzで西洋音楽の音感教育を受けてきた絶対音感の持ち主は、その範囲内での音楽にしか親しめないことも出てくると思うのです。

バロックピッチの音楽、日本の音楽、民謡、どこかの国のマイナーな音楽、無秩序な変な音楽、そしてピッチが狂いやすい音楽・楽器等々、これらとの円滑な付き合いを考えると、絶対音感を持つことは、必ずしも素晴らしいこととは言い切れないわけです。

音楽を音楽としてではなく、音として捉えがちに

音楽は、言わずもがな音楽です。流れがあり、情緒豊かなもの。しかし、絶対音感の持ち主の中には、音楽を、ただの音の羅列としてしか聴けない人もいると思います。

だから絶対音感の持ち主が何か曲を演奏するとき、(例えばヴァイオリンなら)全く音程やピッチが狂わずに上手に弾きこなしたとしても、「スゴイ!正確なピッチで聴きやすい!」で終わり。人々を感動に誘うことはできないのです。

みんながみんなそういうわけではないと思いますが、そういう可能性が強まるのでは?と、私は思うのです。

相対音感を身に付けるほうが、よっぽど合理的かつ実用的

絶対音感に相反して用いられる言葉に、相対音感というものがあります。絶対音感は、ある音を絶対的に判別できる能力でしたが、相対音感は、ある基準となる音をあらかじめ知りさえすれば、ほかの音が何の音か判別できるという能力です。

相対音感は、大人になってからも訓練次第で身に付けられると言われていて、音楽を学んでいくつもりのある人は、絶対に必要となってくる音感です。音取りをするときや、和音のハーモニーを判別するとき、音の流れを感じるときに必要です。

つまり、合理的で実用的な能力なのです。

でも、ただただ相対音感を身に付ければ良い!というわけではありません。話し出すと細かくなってしまうので簡単に書きますが、相対音感の持ち主にもタイプというのがあります。

ざっくり言うと、一方は、音楽を相対的に音の羅列として捉える人。もう一方は、旋律の流れとして音楽的に捉える人です。音楽の学習上は両方必要な力ですが、ことに演奏にあたっては、後者のほうが重要視されますね。

まあ、この辺りの話は私の専門外(そもそも音感のテーマすら専門外ですが^^;)なので、これ以上は詳しく申し上げないことにします。

もし興味があるなら、「あなたの音感は何型か? ~『絶対音感』の誤解」のサイトをご覧いただくと良いでしょう。

そのサイトでは、もっと詳しく(というか非常に濃厚に)絶対音感について書いてあります。また、平均律や純正率のお話や、移動ドや固定ドなどといった込み入ったところにも触れているので、大変面白いです。ただ、休憩しながら読まないと疲れちゃうかな(^^;)

まとめ

何はともあれ、絶対音感は無いほうが良いです。まあ、あれば自慢にはなると思いますが、それだけです。派手なイメージがありますが実体が薄いので、バブル音感とでも言っちゃいましょうかね!バブル経済にあやかって(笑)

子供の音感教育を進めたい親御さんは、絶対音感ではなく相対音感を身に付けさせてくれそうな教室を探しましょう。絶対音感を勧める教室はけっこうあると思いますが、私はおすすめできません。ハッキリ言ってうさんくさいです。

少し厳しいことも書きましたが、ぜひ参考にしていただけたら幸いです。子供が悪い音楽教育の犠牲者にならないためにも、しっかりと真実を見据えたいですね。子供に限らず、大人の学習者さんに関しても同様です。絶対音感は、名ばかりのバブル音感なのです。

 
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